大和但馬屋日記

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俺は彈避けが嫌ひです


セガの人がこんなこと言つてゐる。STGの興隆にも延命にも何ら寄與しなかつたメーカーの人が何言つてんだと思つた。

まづ、個人的な好き嫌ひで言へば彈幕系は嫌ひだった。やられ判定が見た目通りでなく、自分の生き死にが視覺的に納得行かないことが多かつたからだ。しかし、そんな好みとは別に、彈募系シューティングが日本のSTGを衰退させたなんて話をされるとそれには斷じてノーを突きつけるしかない。状況をそんな風に業界人が認識してるなら、その業界の中でこの人の關はるゲームは成功しないだらう。そんなレベルに酷い發言だ。彈幕系STGが日本のSTGを衰退させたのか?

事實は正反對である。彈幕系がなければ日本のSTGは二十一世紀を迎へる前に滅んでゐた。歴史上おそらく唯一世界的に評價を得たSTGの代表作といへば、二十一世紀に生れた「斑鳩」である。これが彈幕系の系譜にある以上、「彈幕系がSTGを衰退させた」などとは事實無根の寝言でしかない。もう一つ、東方シリーズといふ一大マーケットを見れば明らかな樣に、日本のSTGは彈幕系によって何とか形を保つたのだ。それを何だ、「ファンタジーゾーン」以外にろくなSTGの代表作もないセガ如きの人問が馬鹿なことを言つてはいけない。

彈幕系STGが、それまでのSTGと較ベて時流を變へたと言ふべき點が一つあるとすれば、それは「STGを彈避けのゲームでなくしたこと」にあると思ふ。それ以前のゲームは概ね緊急囘避のボム以外は敵彈を眞面目に避けることが必要だつたが、弾幕系のゲームはその成熟に連れて「如何に敵の彈幕を無力化するか」をゲームシステムの中核に置いて追求する樣になつた。畫面を埋め盡す敵の彈をただ避けてばかりでは面白くない。だから彈を避けずに濟むシステムが多數考案されたのだ。

多くの彈を吐く敵を倒すと弾が全て消えるシステム、バリアで彈を撥ね返して強力な反撃手段にするシステム、彈幕に敢へて飛込むことで無敵になり自機が強化されるシステム、ある條件で彈を無數の得點アイテムに變へるシステム、自機の属性によつて敵弾を無效化するシステム。

「彈避けばかりが能ではない、如何に敵彈を有利な要素に轉換するか」といふ數々の試みがSTGの内容を豐かにし、可能性を擴げた。プレイヤーにとつても、より有利な状況を生み出すべくパターン構築が重要になると同時に、メリハリのある攻守のリズムが生まれてパターン化自體は容易になつた。一言で言へば「STGはより面白くなつた」。ゲーム制作で口を糊する者ならば、そのことに感謝こそすれ呪咀を吐くべき理由があらうか。

勿論、今度の新作が彈幕系でなければならないなんて話ではないし、彈幕以外を希望するのも良いことだ。だとしても、「彈幕系が日本のSTGを衰退させた」なんて考へ方は明らかに間違つてゐるのだ。