大和但馬屋日記

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ステロタイプに縛られて

日本のTVメディアで吹替へられる、不自然なまでにフレンドリーな外國人の喋り口調について。

”敬語を使わない外国人”という解釈での吹替え、ほんとにもういいかげん改善してくだされ : ヤマザキマリ・Sequere naturam:Mari Yamazaki's Blog

フジテレビがスカパーでF1を生中繼して二十年近く經つと思ふが、レース後の公式インタビューを一貫して同時通訳されてゐる海老塚寛子氏はすベての話者の言葉を敬語の體で訳してくれてゐる。聞いてゐるこちらとしては少し堅すぎるのではないかと思はないでもないけれども、基本姿勢としてはああであるべきなのだ。今まであまり氣に留めたこともなかつたけれども、どんなに時差のある遅い時間のレースでも待機して通訳してくれてゐるのだから全く頭が下がります、ハイ。

さてもう一つ、今度はアメリカのメディアの話。佐藤琢磨選手のインディ500マイルレースでの優勝即ち日本人の同レースでの初優勝といふのはアメリカ國内においては歴史的な大ニュースである訣で、そこには勿論賞賛もあればさうでないネガティブな反應もある訣だ。

その中の一つ、アメリカのあるスポーツメディアの記者が人種差別的なコメントを書いたとのことで、所属メディアが同記者を即時解雇したといふ事があつたらしい。典型的なポリコレ案件ですな。解雇された同記者による釈明の文を讀んだがどこにも反省の色はなく、ただ祖父が戰爭で日本と激しく戰つた話を聞いて育つたことが延々と書かれてゐた。自分としては、それは仕方のない感情だと思ふ。ネガティブな發言をしたこと、それが咎められて失職したこと、何れも彼の國の事情であつて、さうなる必然を受止めるだけだ。

たぶん彼の人も普段から日本人に對するへイトを撒散らして生きるタイプの人ではないのだらう。スポーツメディアで生きてきたならその邊は余程辯へてきた筈である。そんな人をして感情に走らせてしまふくらゐ、インディ500といふレースがアメリカ人にとつては精神的な支へとなる大事なレースであつて、そんな大舞臺で佐藤琢磨はどえらいことをやつてのけたのだなと思ふばかりだ。それを日本人として誇るとか過去を恥ぢるとかではなく。