大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

結局皆根性論が好き

アニメなど觀てゐると、「世界か個人の命のどちらかを選べ」と選択を迫られた主人公が「どつちもだ!」とか「そんなの選べるか!」とか答へながら敵をぶつ潰すお氣樂なおはなしが多い。
現代日本は戰爭に負けて一度は交戰相手によつて占領されたにも關らず、結果的にどこの國にも組込まれずに言葉も文化も根底から上書きされたる事無く濟んだから、戰爭中が最も酷い状態で、負けてもさう惡いことにはならないと「學んで」しまった。むしろ負けたことこそが「良いこと」で、占領されて解放されたことが即ち「革命」の成就であつたと、さう理解された。しかし、實際のところ、別に我々は何かを「選んだ」訣ではない。流されてゐただけだ。
流されたこと自體を殊更に惡いと思ふ必要もないが、流されただけのことをあたかも自らの手で選んで勝ち取つたかの様に思つてはいけない。先の戰爭から學ぶべきことは、「我々はどちらかといふと運が良かつた」といふことだけである。それも「賭けに勝つた」といふ類の話ですらない。負けが決つた賭けに乘つて火達磨になつて大燒傷をして、それでも死ななかった程度に運が良かつただけのこと。それをまるで何かを選んで勝ち得たかの樣に思考して戰後を語り今を語る様なすべての言説は根底から間違つてゐるのだ。
冒頭に擧げた類の「おはなし」は成程我々日本人の口に合ふ。苦澁の決斷を下すといふ話なんか辛くて見てゐられないし、決斷の末に選ぶのは惡いことで、根性論でその状況を生んだルール毎無效にするのが「正しいこと」だと根から信じてゐるのだから。