大和但馬屋日記

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この世界の片隅に」四囘目。前囘が字幕上映で小さい箱だつたのでもう一囘ULTIRAで觀たくなつた。コンテ讀んでゐると確かめたいことも色々あるし。
すずさんは繪を描くのが好きな人である。否、好きとかいふレべルでなくその畫法をどこで身につけたのかと驚く程である。そして、この映畫では繪を描くシーンがよく出てくる。これが、鉛筆を走らせたのに合せて描線がついてくるといふ描冩程度ならまだわかる。畢竟アニメーターさんが頑張れば濟む、といつて片付けていいものでもないがまあ頑張れば描けよう。
しかし水彩繪具を水に溶いて、パレット上で混色して、できた色を畫用紙に載せるシーケンスを手の動き、筆先、畫用紙の面にそれぞれきちんと連動させて動かすに到つては、とても頑張ればできるといふものではない樣に見えるのだが、これは一體どうなつてゐるのだらう。デジタル編緝技術樣々といふことではあらうが。世のメディアもクラウドファンディングや緻密な調査やのんさんの起用などの話が一まはりして落着いたら、アニメ表現についてもとことん掘下げてほしい。こんな寶を放つておくなんて勿體ない。
冒頭の中島本町をカメラが奥に進むカット、俺ずつとCGだと勘違ひしてゐたよ…映畫公開のずつと前に、中島本町をCGで再現するプロジェクトの映像を見たことがあつて、それと印象が混ざつて「あれはこの映畫の爲の準備だつた」などと誤認してしまつてゐたのだ。監督の制作日誌のWEBコラムを讀んでみるととんでもない勘違ひだつた。そして「CGではない」といふ目で見ると、また唸るほかはない。
繰返すが大抵のアニメの表現は、時間と手間(つまりお金!)を惜しまずに頑張つて描けば實現できるものだと、亂暴ながらもある程度までは言へると思ふ。しかしただ頑張るだけではどうしやうもなささうな表現の壁をひらりと越えてゐる。この作品はそんな風に見える。