大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

昨日書いたことに関して「あの結末はノウミにとつて幸せだつたと思ふ」といふ旨の意見を拝見した。それはさうかもしれない。ただ、俺にとつては「敵」たるノウミ某が結果的に幸せだらうが不幸せだらうがそんなことはどうでもいいし、彼に同情した訣でもない。あんなゴミクズは叩き潰されて当然だとすら思ふ。そして、視聴者にさう思はせる安易な「カタルシス」を描いた製作陣を嫌悪する。それだけだ。
如何なる説得も通用せず、もはや一寸の矯正の余地もない悪党として「子供」を描き、それに対して一切の躊躇もなく止めを差す「子供」を描く。仮想世界に仮託してこそゐるものの、物語世界の価値観においては「殺し合ひ」にも等しいそれらの行動の動機といへば、彼我の立場に関らずすべてが即物的なものでしかない。現実がそんなものだといふなら、物語としてそれを超えるものを描き出すのが大人の仕事だらう。