大和但馬屋日記

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続・Forza5のAI「ドライバター」について

寝てる間に動画のエンコードなど。

「Forza5」のレースのリプレイから適当にDrivatarの振舞ひを拾つてみた。特に「おお、すげえ」といふ様な内容ではない。ただ、こいつらはこいつらでプリミティブな意志を持つて走つてゐるな、と。「Forza5」でAIについて「いいな」と思ふことについて、実は必ずしもDrivatarの個性だけに依存してゐる訣ではない。丁度ここで友人に良い言及をされたので引用しますね。

ドライブ・ゲームをしていて、自分の場合、やり込んでいくと一番気になるのが、このAIだよなぁ、と思っていて。

  • 遊んでいるオイラが「手に汗握る」くらい、上手くあって欲しい。
  • しかし、「そんな”最適なドライビング”、人間様には無理」と思うくらい上手くなられると、困る。
  • チョッとこちらがコーナーで「刺し」たら、コツコツとボディ同士が当たるくらいには「ドアを開けて」欲しい。
  • しかし、ドカンとブツけて来てレースをワヤにするような粗忽モノだと困る。

(古いゲームだけど)どっかのゲームみたいに、リプレイのテレメトリを見るとアクセルとブレーキが、文字通り「明滅」するくらい頻繁に操作して、ありえないスピードで追い上げてくる、なんてのは論外。

「Forza4」では、ちよつと匙加減を間違へた感じでAIの最適化をしない代りに過度にラインを攻めてくる方向にパラメ一タを振つてしまつて、ちよっと腹立たしい感じになつてたんだよね。実は「2」のAIくらゐが丁度良かったりして。かと言つて、絶対にミスしないAIを作られては、プレイヤーとしてもただ夕イムアタックをしてゐるのと変らないといふことになるので良くない。
そこが「5」ではどうなったかといふと、Drivatarのサンプルをプレイヤーから抽出するといった事の他に、レースの評価そのものに手を加ヘてきた。端的に言ふと、「勝たなくてもよくなつた」。
レースゲームたるもの優勝してナンボ。さういふ価値観でゐる限り、たかが数周のレースではガンガンぶつけてでも前に出なくてはならない。プレイヤーに勝たせる為にはAIは適度に遅くなくてはならなくて、逆にプレイヤーのスキルが上るとブッちぎりで勝ててしまふのでつまらなくなつてしまふ。「Forza」シリーズはここにずつと頭を悩ませてゐて、車の性能指摽であるPI(パフォーマンスインデックス)の充実やAIの進化で対応しようとしてきたと思はれる。
そして「5」で得た答が、「勝たなくていい」だ。どういふことかと言ふと、レースでは三位以内に入りさへすれば「ゴールド」の評価を貰へる。一位でも三位でも貰へる賞金額は変らないし、レース選択時に付くマークも変らない。今までは一位でゴールド、二位でシルバー、三位でブロンズのマークが残る様になつてゐたから「何が何でも勝つ」といふ気持ちにさせられてゐたけれど、そこまでシビアではなくなつた。
「何だゆとり仕様かよ」と言へばさうかもしれないが、無理に勝たなくて良くなつた御蔭で、レースを楽しむ余裕ができた。これが大きい。今回、AIの難易度設定の段階が変つて、従来の「PRO」の上に「UNBEATABLE」といふのができた。ずばり「倒せない」。とはいへ、所詮基本はAIなので多少なりとおバカなのだけれど、おいそれと手を出せないレベルにはなつてゐる。で、さういふレベルになるほど、Drivatarのシステムが活きてくるわけだ。
Drivatarには、その親となるプレイヤ一とのシンクロ率といふものが存在する。これは蓄積したプレイヤーのデータをAIのアルゴリズムにどの程度まで組込むかの比率だと思はれる。ゲームに(といふか運転に)馴れるまでの下手糞な走りばかり学習しても意味がないから、相当走り込まないと「Drivatar=俺」とはならない仕組だ。因みに今の俺とDrivatarのシンクロ率は四十パーセント弱と表示されてゐる。
実はこの仕組、「Forza5」が初めてといふ訣ではない。かつて、セガサターン用「セガ・ツーリングカーチャンピオンシップ」にAIカーを育てるモードといふのがあつて、おそらくここからアイデアを得てゐるのだと思ふ。また、それの「Forza」での最初の実装は初代「Forza Motorsport」においてであつて、「2」以降の自己学習型AIによって一度は忘れられたものが、クラウドの活用によつて新たな生命を得た、と言つても良ささうだ。
上手いプレイヤーと百パーセントのシンクロを果したDrivatarがクラウド上に保存されてゐて、手許のゲームに降りてくる。さらに「倒せない」難易度に設定されてゐれば、ゲーム側の手心など一切ないのだらう。そこに「必ずしも勝たなくていい」システムが存在することで、AIとプレイヤーは対等な立場を得る。「手に汗握る対戦相手」がマルチプレイに頼らずとも手に入れられる訣だ。実際のところ、そこまで理想的なものが実装されてゐるかどうかは判断できないし、まだ現時点では夢を見すぎだとは思ふが、ゲームつて夢を見るためのものだらう? 「あのコーナーまでにライバルを何台抜いて、次のストレートでニトロを使つて、その先のコーナーでライバルを壁にして前に出てあとはひたすらブロックしてクリア」なんてゲームは前世代に捨てていい。
「Forza」の凄いところつて、初代からブレずにさういふ夢を追ひ求めてゐることだと思ふし、一作ごとにちやんと前に進んでゐるところだと思ふ。
で、やっぱリセガは「早すぎる」んだよなあ。「セガ・ツーリングカーチャンピオンシップ」のサターン版て、初代「グランツーリスモ」の一箇月前に発売されたんだぜ?
セガなくして「Forza」なし。惜しいメーカーをなくした(なくなつてない)。