大和但馬屋日記

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yms-zun2008-11-27

今日の訓示
痛みに耐える時も、美しく栄える時もある。しかしどんな時でも、自分らしくありたまえ!

今日は珍しく新作。一周目に真の誕生日で潰れた通常回らしい。

閾値or敷居値の件、ブクマコメントで指摘があつたので自分でも調べてみた。Yahooによるとthresholdとは「木や石でできた、ドアの下方にある敷居」。うむ。やはり「しきゐち」といふ読みに「閾」といふ字を当てたことが誤りといふ解釈の方が合つてゐるのではないか。‥‥と思つて念のために「閾」を調べてみたら、これ自体敷居と同じものを指す語で、古くは「しきみ」と読んだとか。といふことは、閾値といふ表記自体は誤りでもなんでもないといふことになる。ちゃんちゃん。

ただし、閾値を「しきゐち」と読んで良いかどうかは未だ議論の余地あり。「しきみ」が音韻変化したといふことならば「しきゐ」ではなく「しきい」になるが、マ行がア行に転訛するといふ例をワシは知らない。仮にさういふ例があるとするなら、むしろ「敷居」といふものが自体「シキミ」→「シキイ」に誤つて当てられた字が一般化したとみるべきだらう。「御座る」→「御座ります」→「御座います」→「御座居ます(誤つた当て字)」→「ござゐます」みたいなもんか。thresholdの訳語が実は「変化する言葉」の最前線にあるとは思はなかつた。侮れん。

マ行がア行に転訛すると書いて亜美真美をすぐに連想する様では重症な気がしないでもないぞ。

id:usui_soup:20081127の件。例へばデジカメのRAW画像を「現像」する際、ソースが同じでもどのソフトでどうパラメータを設定するかによつて結果に差異は出るのではないでせうか。「RAWを普通に焼いたら必ずかうなる」といふ性質のものではないといふのが自分の理解するところですが、間違つてゐたらすみません。質の良し悪しを判断するのは人間の目だからさておいても、さういふ「デジタルデータの解釈による結果の差異」はどんな場合にも起り得ると思ひます。ベジェ曲線の精度とかも。