大和但馬屋日記

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Wikipedia→「Wiki」と携帯電話→「携帯」は対応しないのではないかといふ指摘

意味から略語を捉へると、もちろんその通りだと思ふ。しかし、それは考へ方の順序として逆なのではないかといふのが私のそもそもの立脚点である。だから元の言葉と略語との関係を意味でなく形の相似で抜き出した。
実際のところ、日本人が略語を考案する時に、意味的な整合性を考へることは滅多にないのではないか。二語以上の複合語を省略する場合、前半の語のみを取り出すか、前半と後半から頭の一文字(あるいは二音節程度)を取り出してくつつけ直すかのどちらかであり、いづれにせよ元の言葉の持つ意味性が破壊されることについては全く以て頓着しない。それが現代日本語における略語の「作法」だと思はれる。稀に中ほどから抜き出す場合があるとしても、それはどちらかといふと語呂を重視してゐるのであり、意味に留意してゐる訣ではないと思ふ*1
「携帯電話」が「電話」ではなく「携帯」なのは、「携帯」が前にあるからにすぎない。せめて「携電」なら少しはマシだつたかもしれないが、さうならなかつたのだからこれは言つても仕方がない。昭和五十年代くらゐまでなら、さういふ略され方だつたかもしれない。「電話」と略される可能性については、意味よりもまづ「携帯電話」といふ文字の並びであるが故にまづ有得なかつたのではないかと私は考へてゐる。
あるいは、修飾辞が先に立つ日本語の構造が、頭から略してもそれほど意味の衝突に注意を払はなくても済むと言ふ気質を産みだしたのかもしれない。

*1:但し、より狭い範囲で使はれる隠語の類になると逆の現象が見られる様になるが、ここでは除外する