大和但馬屋日記

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鈴鹿伝説'89

毎週の楽しみ、今日は'89年。全車3500ccのNAエンジン、26台の大半は8気筒で、V10はホンダとルノー、V12はフェラーリランボルギーニのみといふ時代。しかし、同じV10であつても今とは全く別物。当時甲高く美しいと言はれたV12エンジンの音が「え? こんなに低かつたつけ?」と思つてしまふ程だ。それもその筈、当時15,000rpmが「あり得ない」とされてゐたのに、今では20,000rpmの声を聞く程になつてしまつた。
スタート前、カウルを外したマクラーレンMP4/5のモノコックを見るとまるで箱細工。アルミのモノコックの素材のみカーボンコンポジットに置換へただけの構造で、やはりあの当時としても時代遅れだよ。マクラーレンはこの後二年も同じ構造を使ひ続け、チャンピオンを守り続けるのだけど。今では考へられない大らかさ。もちろんそれは今の目で言つてゐるのであり、当時は当時で精一杯だつたわけだ。
今のF1を十年後に見たら、どう見えるのだらうね。それがたまらなく楽しみだ。昔のレースを見てから今に目を向けると、今のF1が何とも愛ほしく思はれるんだよね。


プロストとセナの接触。これが無ければ、あるいはセナは五年後に‥‥否、やめとかう。とにかく、オレにとつてはこの年が最悪の日本GPだつた。最高は沢山あるけれど。
優勝、A・ナニーニ。これもまた、一年後への皮肉な、あまりに皮肉な伏線となるのだつた。その話はまた来週。


それにしても、レースの後味を悪くしてるのは実は古舘のコメントのせゐなんぢやないか。何が「今までのプロストの動きを見ると腑に落ちません」だ。最後は吐捨てる様に「さやうなら」。
フジテレビのF1放送は、この年からずつとをかしいままなのだ。