ハミルトンのチャンプ獲得は、レースを生観戦した上でのドラマチックさはさて措いて、冷静に経過だけをみればとてもスマートなものとはいへず、「まあ本当に運良く獲れてよかつたよね」としか言ひ様のないものではあつた。
ライバルであるマッサとの間に七ポイントも差をつけて、マッサが優勝しても五位に入賞すればよいといふ条件で、本当にスタートからゴールギリギリまで五位の線を出入りする奴があるかと。F1をプロレス的興行だと割切つてみれば、これ以上ないくらゐ「シナリオ通り」の展開ではあつたが。
終つてみればハミルトン98点、マッサ97点。百点を超えないチャンプ争いなんてレベルが低い、どちらもチャンピオンには相応しくないと言はんばかりのフジテレビCSコメンタリ陣(といふか今宮・川井両氏)の論調だが、いやそれは待つてほしい。
過去二十年間のチャンピオンの総得点を見てみようよ。F1 DataWebのデータを参照させてもらつた。
年 | チャンピオン | ポイント | 二位 | ポイント |
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1989 | A.プロスト | 76 | A.セナ | 60 |
1990 | A.セナ | 78 | A.プロスト | 71 |
1991 | A.セナ | 96 | N.マンセル | 72 |
1992 | N.マンセル | 108 | R.パトレーゼ | 56 |
1993 | A.プロスト | 99 | A.セナ | 73 |
1994 | M.シューマッハー | 92 | D.ヒル | 91 |
1995 | M.シューマッハー | 102 | D.ヒル | 69 |
1996 | D.ヒル | 97 | J.ヴィルヌーヴ | 78 |
1997 | J.ヴィルヌーヴ | 81 | H.H.フレンツェン | 42 |
1998 | M.ハッキネン | 100 | M.シューマッハー | 86 |
1999 | M.ハッキネン | 76 | E.アーバイン | 74 |
2000 | M.シューマッハー | 108 | M.ハッキネン | 89 |
2001 | M.シューマッハー | 123 | D.クルサード | 65 |
2002 | M.シューマッハー | 144 | R.バリチェッロ | 77 |
2003 | M.シューマッハー | 93 | K.ライコネン | 91 |
2004 | M.シューマッハー | 148 | R.バリチェッロ | 114 |
2005 | F.アロンソ | 133 | K.ライコネン | 112 |
2006 | F.アロンソ | 134 | M.シューマッハー | 121 |
2007 | K.ライコネン | 110 | L.ハミルトン/F.アロンソ | 109 |
2008 | L.ハミルトン | 98 | F.マッサ | 97 |
1990年までは「16戦中上位11戦の有効ポイント制」だつたので、まあ除外してもいいだらうか。しかし1989年は総ポイントでプロストが+5点、1990年も同じくプロストが+2点増えるだけなので大した影響はない。ともかく、チャンピオン争いが拮抗した年はポイントは分れるものだ。あれほど「圧勝」のイメージが強い1992年のマンセルでさへ、たつた108点なのだ。勿論二位のパトレーゼと比べれば間違ひなく「圧勝」だ。
もちろんこれにはカラクリがあつて、2003年以降は従来の一位から六位までではなく、一位から八位までが入賞となり、二位以下の獲得ポイントが大きくなつた。また、2004年以降開催グランプリ数が増加傾向にあり、それまでは年十六戦から十七戦だつたのが十八戦以上となり、獲れるポイント数が多くなつてはゐる。それを最大限反映したのが2004年のシューマッハーの148点といふ大量得点だ。とはいへ、年に十三勝もすれば2002年以前の計算方法でも大差はない(二位以下が三回しかないから)。2004年はフェラーリが十六勝もした年で、ランキング四位のアロンソが僅か59点しか獲れてゐないのだから、むしろかういふ年の方が例外だ。
今年は去年に引き続いてギリギリまで三人四人がチャンピオンを争つてゐたのだから、全体にポイント数が抑へ目になるのは当然のことだ。特にフェラーリはマッサとライコネンがポイントを分け合つて、そこに後半の伏兵としてベッテルやアロンソまでが絡んできたのだから、100点を超えないことを採り上げてウダウダ言つても仕方がない。単にフェラーリ・マイケル最強時代の感覚に馴らされてるから異様に低く見えるだけで、ポイントのバランス的にはむしろ普通ともいへる。
もちろん今宮氏らの話の本意はそちらにあるのではなくて、特にフェラーリが戦略ミスやピット作業の拙さによつて勝てるレースをいくつも失つた、といふところにあるのだらう。それは分る。
個人的な感想をいふなら、「ドライバーズチャンピオンがハミルトンでコンストラクターズチャンピオンがフェラーリ」といふ今年の結果は、トラック上の実情と合つてゐない気がする。「ドライバーがマッサでコンストラクターがマクラーレン」の方がよほど相応しいんぢやないか。少なくとも、今年のフェラーリはチャンピオンチームとして誇れるレベルになかつたと思ふ。でも、やはりポイントはポイントだからね。コバライネンを空気扱ひしてコンストラクターズが獲れる筈もなし。
ポイント計算のカラクリに関しては、id:skobaさんが別に結果に不満があるわけではない - 思いついたときに更新するF1日記 - formula1グループで面白い考察をされてゐるのでご参照あれ。
以下は余談
過去二十年のリストを纏めて思つたのは、やはりその年ごとにドラマがあつたんだよなあと。
セナ×プロスト時代だつてFIAの政治闘争を絡めたグダグダしたもので、挙句の果てが二年連続の鈴鹿でのクラッシュ劇。1994年の一点差はマイケルの最終戦でのダーティアタックで決つたもの。1997年の一位と二位の差は、その影で抹消されたマイケルの78点があつたから。これも最終戦での特攻。1999年のマイケルは骨折事故で僅か44点。この年のアーバインの順位を見ると、マッサが今後チャンピオンになれるかどうか不吉な予感がしてしまふ。でも今年の強さは本物だつたよ。
昨年のハミルトン×アロンソはセナ×プロスト再びといふ感じで、少なくともアロンソは当分ハミルトンとマクラーレンを許すつもりがないらしい。何年か後にまた同様のリストを作つてみたら、そこには新しいドラマが見えてくるのだらう。
今年は優勝者が七人も出た年だつた。1985年あたりまではさほど珍しくもないことだつたが(1982年の優勝者は11人、チャンピオンは僅か一勝のケケ・ロズベルグ)、近年ではさうさうないことだ。
といふか、これワシのF1ファン歴そのものぢやないか。もう二十年かよ。