大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

作られた常識

ドラマ版「この世界の片隅に」の撮影風景。北條さん家のセットは申し分なく良く出來てゐる樣だ。しかし、ガラス戸に紙テープを貼るのか。貼つてしまふのか。まあ、原作漫畫の繪を忠實に再現しようとするとかうなるのは解る。つまりアニメ映畫とは無關係に原作を實冩ドラマ化するといふことなのだらう。

戰時描冩をする上で我々が必須と思ひ込まされてゐる「窓ガラスの紙テープ」の妥當性についての片渕須直監督の考察は下記にある通り。

1300日の記録[片渕須直]第32回 窓ガラスの話 | WEBアニメスタイル

これでオーディションしたのかなあ

「『Forza Horizon 4』は十月二日發賣、舞臺はイギリスだよ!」の發表に對してファンのコメントは「東京がいい」「香港だと思つてた」「なんてこつた」「皆日本を望んでたのに」。皆アジアが好きだなあ。ゲームだもの、異世界感といふかエキゾチックさが求められてるのかね。「3」がオーストラリアだつたし、左車線の國が續くなあ。日本人としては有難い。

ひそねとまそたん」第九話、サブタイトルの「ギャーーー!!」に久野美咲さんがひそね役としてキャスティングされた理由が凝縮されてゐた。稀代の超音波聲優。これは久野さんにしか出來ない。「ズヴィズダー」も凄かつたが、その比ではなかつた。

カナダGP決勝

イタリアの? ファンによる「機動戦士ガンダム」の二次創作ムービー。映像の出來とかなんとかは見れば判るとして、ガンダムのテスト風景にスポットライトを當てることで、「何故か都合良くアムロの目の前に落ちてゐた親父の作つた無敵ロボ」に命が宿った樣に思へて、そこが本當に良かつた。

カナダGP、一周目でハートレイとストロールが肝の冷える樣なクラッシュ。ストロールが四コーナーからの立上りの加速中にグリツプを失ひ、外側のハートレイが壁に押付けられ、その反動で再びストロールが巻込まれる形で大クラッシュとなつた。

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五周目にVSCが解除され再スタート。

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最初のクラッシュの後は何も起きなかつた。べッテル優勝。寝た。

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カナダGP豫選

ル・マンが近付いてきたので「Forza 7」で輕く走つてみた。アストンマーチンDBR9。大變走り易くて氣持良い。

さてカナダGP豫選、Q1でグロージャンは出走せず。

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Q2、上位四臺のタイム差の無さが異常だ。それぞれコンマ一秒以下の差しかない。その中でレッドブルがトップを取つて、このグランプりだけは絶對に獲つてみせると意氣込みを見せる…かに見えたが。

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意外にもポールを獲つたのはべッテルで、レッドブルフロントローを取れなかつたばかりかリキアルドが六番手に沈んでしまつた。

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十番手まで、チーム内で順位が一つもまとまらながつたのも珍しい。Q2が綺麗に揃つたのとは好對照だつた。

後の祭

五万圓の商品を五千人分。

http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20090601#twinstick4

XBOX360ツインスティックを自作して遊んでゐたのが九年前。タニタの人にとつては「あの時の祭の盛上りをもう一度」つてつもりなんだらうけど、まあ讀めば讀む程「無理ぢやね?」としか思へない。そも、色々前提がをかしい。金額を拔きにしても「とある魔術の電腦戰機」を一年後にツインスティックで遊びたい熱心なプレイヤーが五千人も居るかつて話。居ないだらう。

ちやんとした「バーチャロン」新作か、せめて「オラトリオ・タングラム」の移植をセットにしないと失敗するにきまつてる。

汚れたヒーロー

ニンテンドースイッチ用「アケアカNEOGEO ライディングヒーロー」。

見た目はネオジオ版「スーパーハングオン」といふ理解。そしてネオジオ初期タイトルとして、家庭用とアーケードのデータ連携を強く意識したタイトルだつたとも記憶してゐる。それはまあいいのだが、肝心のゲームの根本に問題がありすぎる。この手の疑似3Dレースゲームは、身も蓋もない言ひ方をすれば前方から迫る障碍物を避けるのがゲームの主軸である。この「ライディングヒーロー」もさうだ、と最初は思つた。そしたらこれはどうだ。

何位を走つてゐても、突然後ろから追拔いてゆくライバル。自分より後ろのライバルは一切目に見えないから、かなりの確率で理不盡な體當りをかましながら拔き去つていく。當てられたこちらは大幅な減速を食らふ。それをまた拔き返す。さういふゲーム。最後の周囘のゴール近くで體當りされたら拔き返すことはまづ不可能。囘避不能な體當りをされずに濟む樣に祈りながらゴールを目指すだけの運ゲ一。はつきり言はう、クソゲーだ。「スーパーハングオン」から四年も經つて、なんでこんなゲームで良しとしたのか。

レース部分としては、スピードに對するグリップ感の變化が希薄なため「コーナーを攻める」といふ感覺は皆無で、囘數制限のあるターボを吹かしてもコーナリングが難しくなる訣でもない。よつてライディングの爽快感は極めて乏しく、ただひたすらに突然後ろから當たるライバルにイライラさせられるだけ。

まあ、ネオジオのローンチ期に數合せとして定番ジャンルのゲームを用意した、といふ以上の意味はないのだらう。八百圓で買つた身とじてはかうしてクダを巻いてればいいが、當時何萬圓も出してカートリッジを買つてしまつた人はどう思つただらうか。

昨日の續き

昨日どこかで見た中國資本が共同制作者に名を連ねてゐたといふ情報が事實であるなら、日本の權利者がビシネスを舐めてたつてだけで「脅迫に屈した」といふ話とは違ふと思ふんだな。

この件に對して.「ぢやあ中國なんかと組まなきやいい、中國と組むからこんなことになる」みたいに言ふのは簡單だ。では、それを言ふ人は日本のアニメに今どれだけお金を落してますかね? といふ話になる。「アニメの圓盤が賣れない」などと業界人が嘆き始めたのは昨日今日の話ではない。儲からない業界が仕事を囘す爲に徒に製作本數を増やす惡循環に陷つてゐる状況で、金拂ひのいい市場が見えてきた中での「二度目の人生」事件だといふことを考へた方がいい。この件でをかしな義憤に驅られてゐる人はまづ間違ひなく本件の「客」ではない。

日本國内だけで需給が完結して金も充分に囘つて潤つてゐるなら何も問題はなかつた。しかし供給が追付かないから制作單價を下げる爲に外國に仕事を投げる樣になり、一時的に繪のクオリティも下がつた。アニメに關するアジア觀がここで止まつてゐる人が未だに多いと思ふ。さうやつてぼんやりと下に見てゐる間に、向うがクライアントとエンドユーザーを兼ねる時代がやつて來つつある。日本のアニメ業界が食つていく爲に、向うの會社から金を貰つて作品を作り、向うの客に賣る時代が。もう「あの國とは關らない方がいい」なんて言つて食つていける業界ではなくなつてゐる。そんなことを言つてゐる連中の市場的價値などゼロか、むしろマイナスですらある。

まだ今は日本人の作る話、日本人の描く繪、日本人の可愛い聲に多大な價値を見出されてゐるから、そこに金を拂つてくれてゐる。中國向けの中國製ゲームに日本人聲優が聲を當てる時代である。さて、これがいつまで續くかね、といふ話。いつか日本のアニメブランドにそこまでの價値が無くなつた時、その端緒として振返られるのが今囘の事件なのだと自分は思ふ。

一往、日本のアニメの爲に多額ではなくともそれなりの金は拂つてゐるつもりだからこそ、ちよつと強めに主張しておきたい。

情けは人の爲ならず

二度目の人生を異世界で」といふライトノベルがアニメ化されるとかで、そのアニメに出演する聲優が相次いで降板を表明するといふ異常な事件があつた。

何かと思へば、原作者が過去に中國や韓國へのへイトスピーチととれる内容をツイートしてゐたことが發覺し、中國で問題になつたことが發端らしい。そして更に話を追ヘば、へイトスピーチの件はむしろオマケで、元々は小説の内容が日中間の歴史認識においてセンシティブな問題となる設定を主人公に與へてゐたのが問題視されたのだと。そして何より、中國資本との共同制作によるアニメ化企劃だったために企劃そのものが立消えとならざるを得なかつたらしい、といふのが今日までの話。これはつまり、中國ガーとか言論の自由ガーとかいふ以前の、「版元のホビージャパン社がまともに仕事をしなかつただけ」といふ理解でよささうだ。

もう随分昔、アメリカで國内向けに發賣された中國製の玩具の箱の中身が9.11を茶化した惡意あるジオラマだつたので箱を開けた一般消費者の心が傷付けられたといふ事件があつた。この件の本質的な問題は、アメリカの玩具會社が自社の商品の中身を檢品もせずに流通に乘せたことにある。中國の工場の惡意を見拔くことなく金錢と帳簿の帳尻だけ合せる様な仕事をするからこんなことになつたわけだ。今囘の件で言へば、被害者はむしろ中國の出資者だらう。米國の玩具について中國の工場がやらかしたのと同じことを、今日本の會社がやつてゐるといふこと。HJ社は中國企業に出資してもらふ爲に拂ふベき注意を完全に怠つたのだ。この見立てが正しいならば、へイトスピーチに焦點を當てた日本側の對應は明らかにピントを外してゐることになる。

中國相手だから日本人の目も曇りがちになるが、これがアメリカ資本と協力して「9.11の實行犯が異世界に轉生してヒーローになる物語」をアニメ化しようといふ話だつたら誰も首肯しないだらう? 思ひ付きもしないだらう? 思ひ付いても誰かが全力で止めて、他の話にしようとするだらう? 表現の自由を盾に「これを作るからとにかく金を出せ」なんて言はないだらう? 今囘やつたのはさういふレべルの話。HJ社が自社の取扱ふ商品の内容を把握してゐなかつた、といふそのー點に盡きる話なのだ。

原作の内容大いに結構、ヘイトスピーチも言ひたければ言へばいい(捕まつても知らんが)。その内容で金を引き出す相手を間違つた愚か者が居たといふことだな。

盗人猛々しい

漫畫の駒の臺詞を好き勝手に書き換へて自己主張の道具とする行爲のどこが二次創作かといふ話だわな。案の定盗人猛々しいとしか評しやうのないリプライが山ほど付いてゐるが。

終了宣言ではないにしても、各自一度襟を正せつてことだらうに、大丈夫かこの人。

「權利者が駄目といつたつて俺はコラを作る」といふならそれは一つの創作態度だ。支持はしないが勝手に戰ふがいい。それが何だ、「不利益どころか利益になると思ふ」みたいな御爲ごかしだとか「作者(故人)は寛容だつたのに」みたいな死人に口なしの抗辯だとか、皆して都合のいいこと言つてんぢやねえよ。

十年前なら主役側か

ひそねとまそたんAT-XでやつてないのでNETFLIXで遅れて視聽してゐる。柿保班長の聲を聴いて、やつとかういふ役を釘宮さんに振れる程度にはアニメ業界も成熟したかと思つた。十年遅いよ。

ウェンディーズで提供されてゐたワイルドロックがファーストキッチンの常設メニューになつた。クオリティは随分落ちたが、ワイルドロックの示す「ハンバーガーにバンズなど不要」といふコンセプトは全面的に正しいので應援したい。

モゲラも出て欲しかつた

昨晩、「GODZILLA 決戦機動増殖都市」を觀た。CGア二メゴジラ三部作の二作目。前囘の引きと序盤の話の運びからは少なくとも三體の怪獸の登場が期待されて然るべきだつた。即ち、ゴジラモスラメカゴジラである。

まあ、メカゴジラは出るには出た。しかしそれは「機動增殖都市」といふメカゴジラならざる姿であつて、その實體は鉢伏型の砲臺の集合からなる武装都市であつた。ドーム状の砲臺といへば「ゼビウス」のログラムとボザログラムの塊であるが、まあさういふもので出來た要塞都市がメカゴジラの自己增殖の成れの果てだといふ。それがゴジラと戰ふ話。

自分はこれを見て、「地球防衛軍」を思ひ出した。サンドロットのゲ一ムではなく東寶映畫のそれである。ドーム状の基地はその映畫のミステリアンの侵掠基地であり、地球側の武器であるマーカライトファープとの地味ながらも迫力のある攻城戰を描いた戦闘シーンは東寶特撮屈指の名場面だ。今作はそれへのオマージュだと思つたから、特に繪的には不滿はない。大暴れするメカゴジラは同時期の別の映畫で堪能したし*1

ただ、「お話」としては…何だらうね、日本のSF映畫の限界をまたも痛感させられてしまつた。「正解するカド」なんかもさうだつたけど、世界の命運を賭けた局面、あるいは世界の變革になる機會の場面で行動の選択を突き付けられて、「そつちを選ぶの!?」といふアレ。つまらん。ていふか、虚淵氏を以てしてこれなの?そつちの人だつけ? みたいな。

まあ、何度か出て來る正面から捉へたゴジラのカットが「ゴジラの逆襲」みたいで大好きなのでいい映畫でしたよ。前作よりはちやんとゴジラも見えてたし。むう。

UFOではなくF1の話

イーグルといふ一九六〇年代のF1マシン。シャープで格好いい。先日亡くなつたダン・ガーニー氏の驅つたこの車が、實は「Forza 7」に收録されてゐることを今知つた。といふか「Forza6」から存在してゐたらしい。不覺。

エンコードに失敗して音が聽き苦しい。「Forza」の吊しのセッティングではブレ一キング時のスタビリティが最惡でどこに飛んで行くかわからないのでデフの減速側を固めて對處。タイヤの内壓は高めにしておくと乘り易い。それでもコントロールしきれずに時々フェンスに擦つてしまふ。

それにしても格好いいなイーグル。俺達の世代、所謂スーパーカーブーム世代は大體一九七〇年代の楔形F1マシンを源體驗としてゐるので、ティレルP34やらロータス72〜79やらフェラーリ312T2やらを至高と崇める傾向にある。それはまあ仕方のないところだが、今の自分には正直それらがあまり心に響いてこない。常に「最高のF1は今レースを戰つてゐるF1だ」と思つてゐて、本格的に自分が觀戦を始めたのは一九八九年だから、それ以前のF1マシンは自分にとつては歴史的な存在だ。F1は歴史を通じてその年ごとに一番速い車を求めるものであるし、その一番速い技術はレギュレーションが大幅に孌更されても殘り續ける。エンジンのミッドシップマウント然り、モノコック構造然り、ウイング然り。べンチュリー構造が禁止されてもべンチュリーカーが確立した理論は現代にまで通用してゐる。さうした目でウイングが取付けられる直前の葉巻型のF1マシンを見ると、やはりこれが全ての源であり、それ故に現代のマシンもここに囘歸しつつある樣に見えるのだ。

今のF1マシンは安全装備やレギュレーションによる寸法規定の御蔭で何かと大振りに見える。しかし、實のところモノコック周りの安全装備と巨大なアンダートレイを除いて見れば、サイドポンツーンも後方のボディワークも小さなものでドライバーの背中から後ろは塊としては何も無いに等しい。かういふ形になつてきた劃期は一九九ハ年のマクラーレンMP4-13あたりだと思ふ。その後F1マシンはミノカサゴの如く空力付加物の塊になる一方でボディの形状はどんどん小さくなつていつた*1。今や、サイドボンツーンなど車體の張出しの半分程度の幅しかない。コクピット横のバンパーが大きく張出してゐるから九〇年代頃のマシンと同樣に見えるだけだ。

ニューウィが葉巻型への囘歸を目指したのかといふと全然そんなことはないだらうが、結果的にさうしたものに收斂していくものなんだらう。性能さへ發揮できるなら葉巻型でいい。今のF1はそれを示してゐると思ふ。

そんな理想像を見てしまふから、今の自分は葉巻型を殊更に格好良く感じてしまふのだらう。決して懷古などではなく。

*1:主にエイドリアン・ニューウィの功績によつて

AIによる自動バラ色の未來

これに同意のツイートをしたら、自動着色の研究者の方からリプライが來た。


事實確認としては理解した。しかし。

「考へさせられるのは今だけ」といふのは首肯し難い。技術の發展自體を否定はしないけれども、事實と異なる結果を徒らに量産することの是非について考へることをやめるべき時は決して來ない。自己增殖するAIの成果物による多數決で事實が覆る樣なことはあつてはならない。

これを受けて別の方からの意見。

これについては、客觀的な事實も受け手によつて印象が異なる、といふ話だと思ふ。色を知覺できなくとも、「金屏風の前で挨拶した」といふ表現と「青屏風の前で挨拶した」といふ表現の間に單なる色情報以外の意味が込められることは理解され得ると思ふ。冩眞によつて「事實」の方が變へられると、文化的背景にまで影響を及ぼしかねないといふことだ。

現状の「ニュ一ラルネットワークによる自動色付け」が目指してゐるのは「昔の白黒冩眞に着色したら樂しいよ」なんて無邪氣な遊びではない。本當に目指してゐるのは「冩眞からの情報の抽出」だらう。着色の爲の情報として、景色の中にあるもの、冩つた人の數、其々の性別、年齢、服装、そして勿論個人名までも。SNSのデータベースと繋がれば、一枚の冩眞からあらゆる個人情報を拔き取れる樣になるまで技術的にはあと半歩もないだらう。遅かれ早かれさういふ未來は望まなくともやつてくる。