大和但馬屋日記

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昨日の續き

昨日どこかで見た中國資本が共同制作者に名を連ねてゐたといふ情報が事實であるなら、日本の權利者がビシネスを舐めてたつてだけで「脅迫に屈した」といふ話とは違ふと思ふんだな。

この件に對して.「ぢやあ中國なんかと組まなきやいい、中國と組むからこんなことになる」みたいに言ふのは簡單だ。では、それを言ふ人は日本のアニメに今どれだけお金を落してますかね? といふ話になる。「アニメの圓盤が賣れない」などと業界人が嘆き始めたのは昨日今日の話ではない。儲からない業界が仕事を囘す爲に徒に製作本數を増やす惡循環に陷つてゐる状況で、金拂ひのいい市場が見えてきた中での「二度目の人生」事件だといふことを考へた方がいい。この件でをかしな義憤に驅られてゐる人はまづ間違ひなく本件の「客」ではない。

日本國内だけで需給が完結して金も充分に囘つて潤つてゐるなら何も問題はなかつた。しかし供給が追付かないから制作單價を下げる爲に外國に仕事を投げる樣になり、一時的に繪のクオリティも下がつた。アニメに關するアジア觀がここで止まつてゐる人が未だに多いと思ふ。さうやつてぼんやりと下に見てゐる間に、向うがクライアントとエンドユーザーを兼ねる時代がやつて來つつある。日本のアニメ業界が食つていく爲に、向うの會社から金を貰つて作品を作り、向うの客に賣る時代が。もう「あの國とは關らない方がいい」なんて言つて食つていける業界ではなくなつてゐる。そんなことを言つてゐる連中の市場的價値などゼロか、むしろマイナスですらある。

まだ今は日本人の作る話、日本人の描く繪、日本人の可愛い聲に多大な價値を見出されてゐるから、そこに金を拂つてくれてゐる。中國向けの中國製ゲームに日本人聲優が聲を當てる時代である。さて、これがいつまで續くかね、といふ話。いつか日本のアニメブランドにそこまでの價値が無くなつた時、その端緒として振返られるのが今囘の事件なのだと自分は思ふ。

一往、日本のアニメの爲に多額ではなくともそれなりの金は拂つてゐるつもりだからこそ、ちよつと強めに主張しておきたい。