大和但馬屋日記

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墓参り、そして盆踊り。写真を撮りたくて港に出たら、まだ踊りの輪が出来てゐなかつたので仕方なく自ら踊りに加はつた。自分が踊るのなんて子供の頃以来だが元々そんなに難しい振付ではなく、手の振りは左右それぞれ二種類しかないくらゐ単純かつス口ーテンポなものなので思ひ出すのは造作もなかつた。問題は足運びで、これも単純なものだが意識しないと綺麗に繋がらず、これは最後までどうにもならなかつた。十数人で何とか輪の形になつたところで何周か回つて輪から抜けた。


「屁理窟と膏薬はどこにでも付く」といふ。昔の人は上手いことを言ふものだ。当世ならSBMSNSの糞コメ糞リプにまとめサイトまでくつ付いてくる。今まさに屁と糞にまみれてゐる物の一つに東京オリンピックのエンブレムがあるのだらうが、まあさうした色々なものを全部削ぎ落して洗ひ流した後に残つたデザインを改めて見たらどうだらう。
結局のところ四年にー度の体育大会を想起させる物があるか否かといふ根つこが置き去りになつたまま、シンプルな見た目にコンセプチュアルな理窟がゴテゴテとくつ付いた体で、これが何かの展覧会や博覧会ならまだしもオリンピックのエンブレムと言はれても首を傾げざるを得ない。さういふ物としての出来の受けが悪くて、その後の流れがどんどん悪い方に転がつたんだらうな、と思ふ。
ぢやあオリンピックらしいエンブレムとは何ぞやと考へて、如何にも躍動感のあるハンドドローイング風のデザインが浮んでしまふ自分のアタマぢやどうしやうもない訣だけど。さういふのはこの二十年くらゐでやり尽くされてんだし、それらに染まつた頭で判断しちやいけない。
ただやつぱり、遍くデザインといふものの訴求先はクライアントや選考委員ではなくその先の一般大衆であリ、大衆に理解を得られないものを作つたつて仕方ないんぢやないの? と思ふ訣で、大衆に伝へるためにクライアントや選考委員を理窟で捻伏せるといふのが本来あるべき「大人のやり方」なんぢやないかなあ。その順序が逆になつて、内輪に解る言葉で仕事を回して大衆を見ずに仕事してるから今この体たらく、なんだらうね。