大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

yms-zun2011-01-17

たかが一本観たくらゐでどうかう言ふのもアレだけど、所謂「3D」は映画にはあまり意味がないと思ふな。能動的にカメラを動かせない以上は「飛び出して見えるか否か」は情報量をさほど増やしはしない。「トロン」のレイアウトは従来の映像表現の文脈で優れたものではあつたがそれ故に3Dグラスを掛けてゐる意味はほとんどなかつたし、唯一意味のあつた虚仮脅しのカットは要するにアトラクションとしての使ひ方しかしてゐない訣で。「観客の方に物を飛ばしてビクッと反応させる」なんてのは悪戯でしかなく、一カットの悪戯のために四百円余計に払つたなどとは流石に思ひたくないが、カット数の多寡に関らず結局はさういふものでしかないだらう。おそらくアトラクション映像の塊として仕上がるであらう「パイレーツ・オブ・カリビアン」の予告篇映像は酷いものだつた。

所謂「3D」が意味を持つのはカメラをインタラクティブに動かせる状態、即ちゲームにおいてだと思ふので3DSには期待してゐるし、もしも「アラン・ウェイク」が所謂「3D」に対応してゐたら、それはさぞ楽しからう。あと「Portal」とか「地球防衛軍」とかな。想像するだけで楽しい。「Forza」は、うーん、どうでもいいんぢやないかなたぶん。ヘッドトラッキングと併せてならイケると思ふが。
「アラン・ウェイク」の冒頭、フェリーの甲板上でうろうろしながらNPCの話を聞くシーンが好きだ。話を聞くともなしにキョロキョロしてると向うの方で水上飛行機が着水したりする。かういふところで操作をプレイヤーから取上げないところが良いし、さういふものこそ折角だから所謂「3D」でもキネクトでも何でも対応すれば尚良いと思ふ。
まあ、「アバター」を観てゐたら考へも変るのかもしれなかつたが、あの頃俺は何してたんだつけ? 人として生きてなかつた様な。