大和但馬屋日記

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yms-zun2011-01-16

つひに冷蔵庫に棲息する増殖性侵略的外来海棲植物を殲滅した。長い戦ひであつた。明日は御徒町方面から新たな侵攻があるであらう。

スウプ氏に誘はれて川崎まで「トロン:レガシー」を観に行つた。恥かしながら初IMAX・初3D・そして初「トロン*1」。事前に仕入れた情報も何もなく、真ッ白な状態で観賞しましたよ。

で、感想。映画一本を観た直後のものとしては、勿論満足。払つた金と時間に見合ふものは頂きました。映像は隅々までよく考へられてるし、ディズニーらしい最大公約数的なエンタテインメントとして大変完成度の高いものだつたと思ふ。点数付けるなら100点満点。映像のコンテの切り方、レイアウトの作り方、タイミングの取り方の教科書にすべき完璧な作品だつたと思ふ。
ただね、観てる間ずつと思つてたのはそれだけだつたのよね。「あー、教科書通りだなー、完璧だなー、100点だなー」。非常によく出来てる、出来てるんだけど、絵作りがあまりにも伝統的で模範的で、ところどころで古臭い。正に「レガシー(遺産)」なんだよな。新しさといふか、未来に繋がる感じ、何よりSF感がない。
映像は総じて格好いいんだけど、その格好良さはどれを取つても既に誰かがやつた格好良さであつて、逆に言ふと「格好悪く見えるところを注意深く取除いた仕事」でしかなかつた様に思ふ。先に「完璧」と書いたけど、これは作中のキーワードとして使はれた「完璧」と同じ意味。あの「完璧」を目指したデジタル世界がそれ故に「レガシー」だつたのと同様に、この映画自体も完璧さ故に「レガシー」なのだらうな、と思つた。
続編への布石はあつたから、「レボリューション」だか「リローデッド」だか知らないけど、そんな感じのタイトルで「未来」を描いて初めて「レガシー」といふタイトルに意味が出るのかな。話のベクトルが全部過去に向つてゐたのも、未来に向けた話は別に作る用意があるからだと思ひたい。

なんてことを話してゐたら、製作裏話として、一人二役と思つてゐた俳優さんの片方が実はフルCGだつたと聞いて腰を抜かすほど驚いた。いや、腰は予め抜けてゐたからコルセット装着で行動してゐたんだけどね。

なんて映像的な感想はともかく、あのレガシーなゲーセンの筐体に映るゲームの数々、何より構図の中央に光る「マリオブラザーズ」のタイトル画面と「ドンキーコング」のSEに、'80年代ビデオゲームの象徴としてディズニー映画に任天堂のゲームが使はれたことの意味を感じて涙線が緩んでしまつたので、すべてOKなんスよ、ええ。
蛇足を加へておくと、あそこで中央に置くべきは「パックマン」なんスよ、おっさんホイホイ的にはね。さうではなく、「MARIO BROS.」の筐体が真ン中に来たところでドリーを止めたことに、当時と今を知るゲーム好きとしては意味を与へておきたい。全然重要な描写でも何でもない、重箱の隅の話だけども。
似た様な仕掛けは銀色のとある置物にも感じたな。あそこに置いてあるべきそれは本当は虹色であるべきだつたんぢやないかな、でも銀色なんだよ、今あるべき表現として。

*1:断片的なシーンしか知らない