大和但馬屋日記

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F4カテゴリを巡るやりとり

オートスポーツ誌の意見はある意味尤もではあるのだけれど、それが「唯一の専門誌」の意見であると考へると、その剰りの詰らなさにがつかりするばかりである。態度としては保守的ですらない。

昔は技術競争の有無は論じる物ではなく、レーシングカーではあたり前にあったものが、今では上から下までそうではなくなっています。フォーミュラではないのが当たり前にすらなっているのが現状なのです

週刊オートスポーツ AUTO SPORT :F4について貧乏人はこう考えた

現状認識としてはその通りだとしよう。しかしその当り前を崩すのが気に入らないといふのが専門誌の考へなのだとしたら、もう金のかかるレースなんか一切やめてレンタルカートの日本一を決めておけばいいよ。
JMIAの言つてゐるのは「コストの上限の範囲内で時代に合つた安全基準と速さを追求したマシンを用意するので皆さん存分に腕を奮つてください」といふ、ただそれだけのこと。ASの想定する「中古を購入して苦労して参戦する金のない人はどうするんだ」といふのはただの状況であつて、それがASの人の中では「金のない人は中古を購入して苦労して参戦すべきだ」といふ前提になつてしまつてゐる。その前提がそもそもをかしいとJMIAの人が言つてもその言葉はたぶん届かないのだ。
中古といふのは下流なので、上流が枯れれば一緒に枯れるほかはない。上流を枯らさない様にきちんと整備しようといふ動きに対して、下流の住人が大局で物を見ずにただ固定観念で「ダム反対」と言つてゐる訣だ。成程構図としては分りやすいがジャーナリズムとしてそれだけでいいのか。上流が途絶えて中古品だけが流通する状況といふのは普通「骨董品」といふのであつて、骨董品に命を預けてレースをしたい物好きが居るだらうか。骨董品は使はずに飾つておくものだ。
なんでここまで「車を作る人」を無視したり愚弄できるかなあ。モタスポの専門誌ですらかうなのだから、日本でモータースポーツなんて成功しないんだ。