大和但馬屋日記

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自由度ああしたかうした、または「ゲームぢやない」

ゲームの「自由度」なるものに関する考察は少し前からid:mutronixさんの上記の断片を読んでスイッチが入りかけてゐた。そこにquestion:1123378733が現れて、それに反応したのがid:yms-zun:20050808:jiyuのエントリ。といふ時系列を自分で忘れない様にしておいて、そこから色々言及を見た上での雑感を記しておかう。
question:1123378733の設問については、たぶんid:hiyokoyaさんは回答者の「自由度」といふ言葉の扱ひ方、受止め方みたいなものを引き出したかつたのではないかと想像した。ゲームのタイトルが知りたいわけでなく、そのタイトルを出すことで回答者が「何を以て自由度と称するか」みたいな。だから設問の中に「自由度」についての定義が書かれてゐないのだとも思つた。思つたので、自分で先に「自由度」を満たす条件を決めてしまふことにした。それがid:yms-zun:20050808:jiyuに挙げた三つの条件だが、かうすることでオレは以後のタイトルの取捨をこの条件に合ふか合はないかで決められるやうにした訣だ。実をいふと、この条件が本当に「自由度」を表すのに必要十分かどうかはオレ自身にも分らない。それでも、その条件があどさんや今村さんに採用していただけたのだから、全く見当外れだつたわけでもないのだらう。別にそれを自賛したくてこんなことを書いてゐるのではない。「条件(ルール)で縛ることによつて得られる自由」といふものがあるとオレは考へてゐて、それを実践してみたといふことだ。
実際に五つタイトルを挙げてみたけれど、「ざつと思ひついた」と書いた通りであまり深く考へて挙げたわけではない。もちろんそれなりに挙げた理由はある。もう少し正直に白状すると、挙げた五つのタイトルのうち「サイバリオン」以外については「あれに比べると」といふ前置きを隠しておいたので、書いておく。
ギャラクシアン」は以前に少し屁理屈を並べたことがある*1/*2。「ギャラクシアン」以前の代表格として「スペースインベーダー」を、以後の代表格として「ギャラガ」「ギャプラス」そしてほぼすべてのシューティングゲームを念頭に置く。そして唯一「ギャラクシアン」のみがプレイヤーとCPUが対等に戦ふゲームなのではないかと考へ、それ故に「自由度も高い」と感じたことにした。かなり飛躍があると我ながら思ふが、その飛躍を埋めるものとして先に挙げた三つの条件が活きる。

達成目標
これは明確だ。より高い得点を獲得することだ。
目標に対する複数のアプローチ
待機中の敵をどんどん撃ち落して先の面に進むか、降下中の敵しか狙はないことで高得点を狙ふか。
アプローチの違ひによるフィードバック
実は、遊んでみれば分るがどちらの方法を採つてもスコアは大して変らない。リスクと得点効率がうまく釣合つてゐるから「どちらが正解」といふことにはならない。だからこそ、どちらの方法で進めるかを自分で決められるのだし、その点において「ギャラクシアン」は自由なゲームだ。「インベーダー」にはその自由がないし、「ギャラガ」にはデュアルファイターになつてチャレンジングステージでパーフェクトを取るといふ正解が厳然とある。「ギャプラス」は八方向に動けるから左右にしか動けない「ギャラクシアン」より自由だ、なんてことを言ふ奴がゐたら張ッ倒す。嘘。

まあ、他のもそんな感じだ。面倒だから詳細は省くが、「ダンジョンマスター」よりも「ザ・ブラックオニキス」。「ゼルダ」よりも「スーパーマリオ64」。「グランツーリスモ」よりも「バトルギア3」。「サイバリオン」はちと別格。敢へていふなら「他の何よりも」。
なんともくだらない自己定義だが、「自由度」なんてその程度のものでいい。「どれだけ多くのことができるか」を売りにしたゲームも、始めてみれば「どれだけ多くのことをやらされるか」を思ひ知らされるだけだつたりする。プレイ中に「ああ、今のオレは面倒なことをやらされてるよ」と少しでも思つたならば、それは自由なゲームではないだらう。さういふことだ。

  • 2005年08月12日 laiso
  • 2005年08月11日 Nao_u 『ゲームの自由度について』

*1:id:yms-zun:20030925:p1

*2:id:yms-zun:20030922:1064165902