大和但馬屋日記

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進歩の爲の犠牲といふ言ひ方はしたくない話

AIによる自動運轉の自動車が試驗運轉中に死亡事故を起した。歴史上初の出來事であるが、いづれ來るべき事態ではある。これに對して「それみたことか」と大喜びをしてゐる人間の屑も少なくないが、必要なのはその事故が人間だつたら避けられたのかどうかの見極めだ。氣の毒な犠牲者からすれば自分を死なせた相手がAIか居眠りか醉拂ひか不注意かなんてことは關係がない。AIによつて他の可能性が減らせるのならばそれを目指すべきだ。

假に年に一万人の交通事故死者が居るとする。AIによつて人が千人死ぬのが避けられないとして、それで年間の総事故死者が一万一千人に増えるのであればとんでもないことだ。しかし、AIの導入によつて総事故死者數が五千人に減るのだとしたら、その内の千人がAIによる犠牲だとしても導入する意義は大きい。AIによつて死ぬより醉拂ひに撥ねられた方がマシだ、なんて話には首肯しかねる。

一方で、AIの導入により運轉者の意識が緩くなり、醉拂ひや居眠りの誘發が増えたことで起る事故もあるだらう。この見極めは難しい。さうした状況があつても尚、事故の総數が減るのであれ、ばその爲の研究は續けるべきだし研究を續けないとさうなるかどうかは判らないし、研究を續けなければ決してさうはならないのだ。

これと似た話がワクチン問題。