大和但馬屋日記

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ID-0ん

ID-0」を觀終つた。最終囘は因果地平で過去の蟠りを捨てて反目しあつた者同士が分り合ふ…といふ、「そのまんまイデオンやないかい」といふ話だつたが、改めて作品タイトルを見直すとやつぱりイデオンだつたといふね。まあイデアを語源とする「イデオン」とアイデンティティを旨とする「ID-0」であるから類似するのは必然かもしれないが、どつちも便利な力を巡る話だなあ。

まあ因果地平のくだりは心底どうでもよくて、「ID-0」に極めてよく似た話は、まあ色々あるんだらうが直近では「A.I.C.O Incarnation」がほぼ同工異曲なのではないかといふレべルでよく似てゐる。主人公然としたヒロインは肉體を失つて自らの意識を機械の身體に轉冩した状態にあり、彼女に關はる正体不明のイケメンつぽいヒーローはその話の主軸となる物事に關係する元科學者の假の姿で、彼の周囲には氣のいいオッサンとお姐さんとチャラ男と女の子のチームがあつて、彼らの敵としてヒーローのかつてのライバルだつた氣の觸れた科學者が立ちはだかり、その科學者は子安武人氏が聲を演じてゐる。何から何までそつくりだ。かういふお題でアニメを作りなさいとコンペを開いて上つてきたのがこの二作である、なんて嘘の裏話をされたらそのまま信じてしまひさうなレベルで同じだ。制作時期もたぶん同じくらゐだらうし。

で、その二作を較べると、キャラや設定の摑みは「ID-0」の方が優れてゐる。物語の冒頭には可能性ばかりが示されてゐるからだ。楽しくない訣がない。片や「A.I.C.O」は事の始まりから陰鬱な空氣が立ち込めてゐる。先に災厄があり、その災厄の中心に向ふ話で、その道程はただ暗くグロテスクな戰ひの連續で重苦しい。主人公が可愛いヒロインでなければ誰も見ないだらう。しかし最後まで見てみれば、面白かつたのは明らかに「A.I.C.O」の方だ。目的地が一點だから、話の要點もはつきりしてゐる。障碍や逡巡と戰ひつつも、未來を摑む話になつてゐる。片やID-0は、目的がはつきりしないまま、主人公が過去と折合ひをつけたことをもつて話の終りとするだけだ。他の要素は話を畳む爲にとつてつけた樣に終つてしまふ。

人間はフィクションに感情移入のできる存在だ。ならば、過去に折合ひをつけただけで良しとするよりは、過去は過去として未來に向ふ話の方がいい。「ID-0」はフィクションの中の過去にばかり拘つた話として殘念に思つた。古くからSF系のアニメにありがちなテンプレを何故好き好んでなぞるのか。