大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

稾人形には自分の顏が貼られてゐる

知りもしないことに勝手に基準を設けて、それに当て嵌つてゐないからダメだと極めつける。確かにああこれすつごい既視感ある。世の中のありとあらゆるマイノリティに對して、自分の想像する「可哀想」の圖式に当て嵌つてゐなければ存在を認めてやらないといふいつものアレ。この人、プロフィールに「理不尽絶対殺すマン」などと書いてるけど、自分が他者に押し付ける理不盡は絶對に殺せないマンである。ツールで補ったらごつこ遊びといふならば世の中遍くごつこ遊びでしかない。それは人間の否定である。

理解できないものに出遭つた時に、理解できぬが故に拒絶するのは仕方のないことだ。理解しようとして挫折するのも仕方のないことだ。理解するのは難しいことだから。しかし、理解する氣など端から無い癖に手前勝手な基準で「どうせ〇〇であるに違ひない」と自分の枠の中で「理解」したつもりになり、しかもそれを投げつけるのは下衆でしかない。