大和但馬屋日記

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SFといふ膏藥を付けたがる人々

SF作家山本弘氏がSF衰退論に對して異を唱へつつ「ガルパンはSFか?」論爭に意見を出してゐるのだけど、うーむ。

別に衰退してないのに多くの人が「現代のSFは衰退した」と思う理由…SF作家、山本弘氏のツイートまとめ - Togetter

今の自分にとつて「SFとは何か」を敢へて言葉にするなら、「SFと自稱する作品を、それらを好むファン層に向けてそれら作品を得意とする作家が書き、それら作品を多く出版する出版社が出版したもの」としか認識されなくなつてゐる。要はハヤカワや創元を好きな人達やSF大會に集ふ人達の玩具といふ認識だ。殊に日本においてはさうだらう。界隈の人達の自家發電能力が規模的に大きかつた時代が過去にあつて、今はもうさうでもなくて界隈自體が小さくなつてるから、界隈の中の人達が外にあるものに「あれもSF」「これもSF」とレッテルを貼り付ける行爲が惡目立ちする様になつてきた、その顕れが「SF衰退論」であり「ガルパンはSF」なのだと思ふ。もうそんな欺瞞は要らない。目を覺せ。

ここにガルパンがある。ガルパンからミリタリー要素を拔いたらガルパンではなくなる。ガルパンから美少女を拔いたらガルパンではなくなる。ここまではよからう。では學園ものを拔いたら?スポ根を拔いたら? コメディを拔いたら? 御當地要素を拔いたら? まだガルパンの體は殘るかもしれない、それが墮分味氣ないものに成果てるとしても。エロを拔いたら? ああ、ごく稀にそんな描冩らしいものもありましたつけね。戀愛を拔いたら? それは同人誌の讀み過ぎですね。ではSFを拔いたら…? 何をどう拔けばいいかわからないものを拔き樣がないし、それらしいものを拔いても何も變らないんぢやないですかね。學園艦のある世界、謎カーボン、戰車道といふ武藝。センスオブワンダー万歳!! さういふことは内輪で勝手に言つてて下さい。何でもかんでもさうやつて自分達の理解できる言語に翻訳して持上げなくて結構ですから。SFを拗らせた擧句、「俺がこれを好きなのはこれがSFの要素を内包するが故であつて單純に面白いからとか女の子が可愛いからとか流行ってゐるからとかさういふことではないぞ」みたいなこと言はなくていいんです。エロゲやエヴァにハマッた東大出の哲學者先生ぢやあるまいし。

二十年くらゐ前は海外でも日本でもナノマシンSFといふものが全盛期で、もうナノマシンさへあればエネルギー收支も質量保存も熱力學も無視して好き勝手ができる魔法のアイテム扱ひになつてて、そんなとある小説の巻末の解説で「ちよつとナノマシンに安易に頼りすぎ」みたいに苦言を呈するくらゐの意識もSF側にはあつたのに、今では「ナノマシンが出てくるからこれはSF」くらゐに退行してしまつてゐるのが「ガルパンはSFだ」の正體。身勝手も大概にしろ、と思ふ。

畢竟「SFであること」を信じるのは信仰でしかないので、SFでなくても成立する作品・事象についてSFレッテルを貼つて囘るのはあらゆる物事を神の思し召しと言つたりアべノセイダーと喚くのと變らないといふこと。SFの「S」にサイエンスの意味を載く未練が少しでも殘つてゐるなら、「一對の目と耳と鼻孔と前肢と後肢を持つ哺乳類だからイヌもヒトなのである」みたいな雑な認定が罷り通るなんて思はないでほしい。

ガルパンはとにかく女の子の乘つた戰車が縦横無盡に活躍するアニメが見たいから自分達で作る、といふ目的に「だけ」眞摯で、世界觀だの設定だのはその目的を遂げる爲だけに場當り的に用意されてゐるにすぎない。描冩と設定が矛盾する場合は描冩が何より正しいとされる。そこにセンス・オブ・ワンダーだのSFマインドだのなんてものは缺片もないし必要とされてもゐないのだ。それがガルパンの良さであり尊さなのだから、SFの人がわざわざ「これはSFだ」なんて御墨付きを與へてくれなくても單獨で面白いし、だからこそ十分にヒットしてるんですよ。變な唾つけんといてんか。