大和但馬屋日記

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世に澁滯の種は盡きまじ

TVで「澁滯吸收運轉」なるものが紹介されてゐた。その方法は實に單純で高速道路を走行する際に前走車との車間距離を十分に保つ、ただそれだけである。澁滯の原因とは畢竟前の車のブレ一キランプを見て自分もブレーキを踏むことで流れに滯りが生じ、遅延が増幅して車の流れが停まつてしまふことにある。ならば、車間距離を十分に余裕をもつて空けておくことでバッファとし、ブレーキランプが點燈する機會ごとなくしてしまへばよいといふ訣だ。あまりにも單純で誰にでも出來るからすぐやればよい。しかしネットで輕く檢索してみると、ただ車間距離をとるといふだけのことに拒否反應を示したり、賢しらげに「車間を空けると割込みを誘發するので危險」等と反撥する意見が目立つ。總じて「できない」「嫌だ」と根拠もなく考へる人がハンドルを握つてゐる確率が高い樣だ。
丁度良いので岡山から大阪へ戻る際に實踐してみた。と言つても自分は元々十分に車間距離を保つて走るので殊更に氣をつけることもない。ただ、高速道路上でブレーキランプを點燈させるといふことを禁忌として走つてみた。連休のUターン時期なので寶塚附近ではどうしても澁滯が避けられないが、それ以外の部分ではとにかくブレーキを踏まない。ブレーキを踏まずに走り續けるにはどうするかといふと、自づと先行車には近寄らなくなる。百メートル程度の車間距離を堅守すれば前に割込まれようが前方の車がブレーキを踏まうが落着いて對應できる。勿論割込まれたらそこからまた少しアクセルを緩めて百メートルの車間距離をとり直すのである。
別に殊更ゆつくり走つてゐる訣ではなく、流れに乘つて、ただ前を大きく開けて、ブレーキは決して踏まない。それだけのことだ。阿呆でもできる。何せ俺でもできる。割込まれたら危ないといふが何がどう危ないのかも解らない。そもそも十分間隔が空いてゐるのだから、「割込まれた」と思ふこともない。單に前に車が居るだけだ。無闇に飛ばしてゐる他の車が車間を詰めてはブレーキを踏んでゐるのを見て、「下手糞やなあ」としか思へなくなる。高速道路でブレーキを踏むなんて余程のことだと解る様にもなる。 たしかに、道路上の車がすべてこの樣に走りさへすれば、少なくとも自然澁滯なるものが発生する確率は大幅に少なくなる筈だ。
澁滯とは人爲的に誰かが發生させてゐるのだ。事故もないのに澁滯してゐたら、そこには車間距離一つ空けられない下手糞がようけ居つたといふことだ。