大和但馬屋日記

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緩くて苦しい同調壓力

ニチアサの子供向け番組を餌にジェンダーロールが云々といふ雜な言説があつて一部が紛糾してゐる。大きなお友達はニチアサにも色々あるといふことをすぐ言ひたがるものだが、子供にとつては目の前にあるものが人生の期間の大半を占めてゐる訣でスーパー戰隊にしろライダーにしろプリキュアにしろ、物心ついてから觀るのは精々二、三本くらゐでそれが全てなのだから、五年前や十年前の作品のことを一々例に舉げることには意味がないし、それぞれの差異を樂しむなんてのも大人にしかできないことだ。だから、子供の親が抱いた感想に對してオタク視點で揶揄するのは的外れとしか言へない。

一方で、生煮えのジェンダー論を雜に當てはめて一括りに語れる程日本の漫畫・アニメ・特撮史は淺くも薄くもないので、それはそれで筋が惡い。全體を俯觀してジェンダー論から見た社會的な役割についてちやんと考へることは必要だらう。

憂ふべきは名作劇場枠に類するものが盡くバラエティ番組に潰されて久しい世の中だと思ふがね。問題はニチアサ枠以外の子供番組の枠が減つた分番組の多樣性も失はれてゐることだらう。「ニチアサ」といふ言葉である程度の傾向が固定され、その周辺番組のフォーマットもその模倣に留まつてゐるものが多く見えてゐる現状はあまり良いとはいへないとは思ふ。ニチアサっぽい展開のアニメが嫌ひな子供にフィットするものが今はあまり無いからね。何なら「へボット」があることが救ひにすら見えるのだから子供の頃の俺には正直地獄だ。多樣性の缺如はそれ自體が同調壓力なのだから。

勿論これに對する有效な反論は「TVに頼るな」であり自分はさうしてゐるが、それだけでいいといふ訣でもあるまいよ。