大和但馬屋日記

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ブルーレイ版「マイマイ新子と千年の魔法」を觀賞。まづ、率直な感想だけをいふと、自分向きではなかつたな、と。詰らない訣ではないが、どこか他人事の樣で、かといつて子供向けアニメを樂しむ大きなお友達にもなれず。何といふか、新子が勝手に何かやつてるな、周りがそれに付合はされてるな、といふエピソードが續いてゐるのを眺める氣持。で、その新子が何とも無敵キャラで、豐かすぎる想像カを周囲に躊躇ひもなく披瀝できるのが強い。何事にも動じないし、子供視点で目の前が眞暗になるやうな出來事に對面してすら結局は我を通した行動で自分なりの解決をみてしまふ。強い。強すぎる。もう一方の主人公たる貴伊子は新子の強さに中てられて新子の想像の世界に入り込み、そこで不思議な「體驗」をするが、それを新子と共有することもない。新子は映晝の中で成長も變化もないまま最後は三田尻を去る。殘された「他所者」の貴伊子は山囗辯に染まつて周りと馴染んでゐる。新子はさながら子供版「水戸黄門」で、山囗に去つてもそこでよろしくやるのだらう。どこに行つても特に大きく變りはすまい。映畫が終つた後に何より思つたことは、新子よりも殘された貴伊子の話が見たい、だつた。水戸黄門などと言つたが、まあ普通に考へれば新子は地住みの「赤毛のアン」で貴伊子は外からやつてきたダイアナなのだらう。話としてはさういふもの。
映畫としては苦手な演出が所々にあつて、それはラストシーンで兒童合唱團による「Sing」が高らかに流れる邊りに象徴される。何だか氣恥しくてむず痒い。たぶんオリジナル曲ならさうは思はない筈。幾らなんでもべタすぎるだらう。スキャットを多用した劇伴音樂も、トーンの低い主人公達の臺詞を妨げてゐて入り込み難い。
これらに關して極端なことを言へば、本作をどこかで一度觀て内容の理解も深めてゐないままなら、決して「この世界の片隅に」を自分で觀に行かうなどとは思はなかつただらうと確信できる程だ。俺はそんなに慧眼ではない。しかし今の自分はさうではなく、「この世界の片隅に」を觀た後といふチート状態の自分であるから、演出の表面的な苦手さを克服してこの映畫に向合ふことができる。それはそれでゼイタクなことなのだ。
そんな訣で、「マイマイ新子と千年の魔法」でもしばらくは遊ばうと思ふ。ちよつと寝かせてからまた觀よう。