大和但馬屋日記

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目隠しと供出と

この世界の片隅に」十囘目。ULTIRAで觀られる内に觀とくのがうちらの戰ひですけえ。

十囘目に氣附いたところ。

畫像は公式の豫告編動畫より引用。市境の短いトンネルを拔けると軍港だつたといふのを象徴的に示す、線路脇の目隠し板。これは他でもない戰艦大和建造の際に機密保持の爲に設置されたトタン壁ださうで、その後も目隠しとして機能してゐる。ここからカメラがグイッとパンして呉港が映り「くれー、くれー」とアナウンスが被るシーンは映畫のラストでも全く同じ構圖で繰返されることになるが、そのラスト近くでは目隠しの板は撤去されてゐた。そのことが隠すベき世界一の軍艦は既になく、海軍組織も解體されて周作さんが御役御免となつて初めて歸宅する場面を象徴してゐるのだと思ふ。トタン壁をバラしたのが鐵道省なのか占領軍なのかは判らないが、ともかくも焼野原となつた呉市街の復與の資材となつたであらうことは想像に難くない。それに際しておそらくは仁義なき筋の人等が絡んでもゐたのだらう。それも呉の一つの姿。

こんな目隠しなぞに金属を浪費して、それをどうやつて調達したかといへば呉市電の路線を一部廢止してレールを供出させたりもしたさうだが、北條家の家具からも金属の取手類が奪はれて繩の取手に換へられてゐる。そのタイミングがいつかと探してゐたところ、どうやらすずさんが楠公飯を炊いてから防空壕を掘るまでの間らしいといふことは判つた。徑子さんが嫁ぎ先の建物疎開で離縁して戻つてきた邊りが境目だと思ふが、そのシーンの家具の樣子がどちらなのかはまだ判別がついてゐない。

その後、何度も觸れてゐる二〇年三月十九日の初空襲の日にすずさんは小松菜の芽に手柄杓で水を與へてゐる。これもひよつとしたら金柄杓や如雨露があつたのを供出で持つて行かれたのかもしれない。