大和但馬屋日記

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「捗る」を漢字で書く奴は頭がをかしい、などと言つてゐる自稱フリーライターが居て目を疑ふ。

成程「捗る」も漢字で書けない職業ライターから見ると頭がをかしく見えるのかもな、と嗤ふしかない。「習つてゐない漢字は自分の名前を書く時にでも使つてはいけない」なんていふ小學生と同じレベルの思考様式からすると、自分の解らないものにはレッテル貼りしてバーカバーカと拒絶するくらゐしかできることがないのだらう。

「漢字はなるベくひらがなにひらくことでプロの書いたような文章になります」などと御高説を埀れるプロの編輯者やライターも後を絶たない。素人の書いた形ばかりプロつぽいだけの文章に一體何の価値があるといふのだ。編輯者が他人の文章のスタイルにケチをつけるのは原稿の書き手相手だけにするが良い。誰もがあんたの飯の爲に文章を書いてゐる訣ではない。文字や文章が何の爲にあるのか、職業人程忘れてゐるのではないか?

三點リーダや約物のルールなどもさうで、そんなの出版業界の都合に合せた狹いルールでしかなくて、それも活版印刷の效率化の爲に創られた古臭い慣習を意味も考へず後生大事に守つてゐる樣なことが殆どではないのか。言葉にとつて出版とは一つの表現の手段でしかないのだ。