大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

終り

アニメ第三期「ARIA The ORIGINATION」が最終回を迎へた。原作コミックも先月に最終巻が出た。終つた。
アニメの第三期について個別に何も書かなかつた。書けなかつた。書かうと思ふと手が止つた。最後まで見届けようと思つた。見届けた。ひとつのTVアニメーションとして非の打ち所のない作品であつた。さう、ひとつの作品としては。
演出面では第四話のトラゲットの回が傑出してゐた。後半、ウンディーネの卵たちが話をするだけのシーン。人物の芝居、立ち位置、カット割、レイアウト、何気ない風景の挿入、すべてが言葉と情景に繋がる、丁寧な丁寧な仕事。素晴しかった。
第九話。アリスの飛び級昇格。ほぼ原作を忠実になぞつただけだが、原作を読んだ時点で映像化は無理だと思つてゐたので驚いた。アリスと広橋涼が、初めて自分の中でひとつになつた。
等々、語り出したらキリがない。ただ、第三期全体が「終るための話」に一直線に向つてゐたから、それは観てゐて楽しいものでなかつた。むしろ息苦しさすら感じた。そこは原作も同じで、十一巻から十二巻にかけてはそれら全体が「最終回」といふべきものになつてゐた。さういふものとして、どちらもハイクオリティではあつた。それ故に息苦しさも半端ではなかつた。少し意地悪な見方をすれば、それまで掴み処のなかつた原作が終幕への方向性を得たことで、アニメも作り易くなつたのだらうとも思へる。
そして、ことアニメに限つていへば、一クールをかけて「壮大な最終回」を描いたことが大きな違和感として残つたことだけは記しておかなくてはならない。違和感のもとを辿れば、それはアニメ版「ARIA」がそもそも話の発端を描いてゐないといふ事実に行き当る。
コミック原作「AQUA」第一巻の最初のエピソード、水無灯里が惑星アクアにやつてきてARIAカンパニーに入社するまでの話。そして、同じ巻の最後で灯里が見習ひから半人前に昇格する話。この二つを避けて、「AQUA」ではなく「ARIA」として第一期を始めてしまつたツケが、結局最後までつきまとつてしまつた。アリスの飛び級も(といふか第二期最終回の「暖かくなつたらピクニックにいきませうか」といふアテナの台詞も)、最終回の郵便屋のくだりも台無しである。畫龍點睛を缺くとはよく云はれるが、その逆は何と云ふのだらう。
その代りとして、アニメ版オリジナルキャラクターとして登場したアイがARIAカンパニーを継ぐ者として最後に入社するのは、原作者の優しさの顕れだらう。漫画だけを読んでゐれば、それがアイである必要はなかつたのだから。
改めてコミック版「AQUA」第一巻をめくつてみた。そこには自分を「AQUA」そして「ARIA」の虜にした、そしてアニメで映像化されなかつた、大好きな風景がある。すべての物語が終つても、これだけは終らない。

「AQUA」(天野こずえエニックス)に予想外にハマる。内容が,ストーリーが,キャラが,といふわけではなくて作中の景色に心を奪われてしまつた。ン十年マンガを読んできて,こんな経験は初めてだ。独創的といへるほど独創的なわけでもなく,圧倒的に緻密な描写がなされてゐるわけでもないが,作者が描いて伝へたいといふ気持ちと,主人公がその目で見た感動とが極めて適切に描き出されてゐて,ショックさへ受けた。かう言つてもいい。感動した。ああ,びつくりした。かういふ経験をしたことに,である。

大和但馬屋日記 2002.04.22
  • 2008年04月03日 atoz アニメ ARIA絶賛評。「演出面では第四話のトラゲットの回が傑出してゐた。後半、ウンディーネの卵たちが話をするだけのシーン。人物の芝居、立ち位置、カット割、レイアウト、何気ない風景」