大和但馬屋日記

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言論圧力は存在するか

yms-zun2007-11-22

存在の有無を問はれれば、「ある」としか言へない。しかし、それを具体的に示すことは難しい。それはいふなれば「鵺」である。
とある事件に関する報道が「為されなかつた」ことについて、「大企業からの」「政治権力からの」「圧力団体からの」具体的な圧力があつたかといふと、恐らくほとんどのケースにおいて「圧力などなかつた」だらう。あるのは内なる圧力、それも報道会社の上層部が握り潰したなどといふ分り易い「かたち」ではなく、かたちのない無言の圧力、言ひ換へると「空気」である。
事件が発覚してから世間に報道されるプロセスのどこかで誰かが「空気」を読む。組織が大きくなればなるほどそれに対する同調圧力も大きくなる。すると、はじめからそれは「なかつたこと」になる。誰かが誰かの弱みを握つたとか、さういふ分り易い理由がないからこそ掴み所がなく、故に駆逐し難い魔物である。
以上は、実証のしやうのない単なる推測にすぎない。しかし、的を大きく外してゐるとは自分では思はない。以下に示す様な経験からの類推だからである。
以前、職場で請けたテレビ番組制作の仕事でコンテやデザインをワシが担当することになつた。映像が一通り出来上つて、元請のチェックに出したらほとんど全てのカットにダメ出しを喰らつた。理由を問へば、顔や身体のパーツが欠損して見えるカットがすべて駄目だといふ。サウスパークドラえもんかといふ様なデフォルメキャラで、手の指などはじめから作つてゐないしモブキャラなど目と口しかない。それらが一切駄目なのだと。仮にそれがそのままオンエアされても恐らくどこからもクレームなど付く筈もないのだが、制作サイドがさう主張しても始まらない。一例でも「過去にさういふクレームがついた」といふ前例があれば、それがすぐに自粛に結び付く。スポンサー仕事といふのはさういふものなのだと肌で知り、それ以降はワシ自身もさういふ些末な注意を払はざるを得なくなつた。「無駄な」チェックバックの回数を減らすために。
報道圧力の話とは一見性質が異るかもしれないが、しかし根幹にあるものは同じであると言つて良からう。圧力とは必ずしも上からかかるものではない、といふことだ。
あと、参考文献。

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

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