大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

さういへば今年は戌年だつけな

yms-zun2006-10-27

AT-Xでしばらく前から「いぬかみっ!」の放送が始まつてゐて、とりあへず四話分観てみた。
番宣で「戌年系なんとかかんとかアニメ」とか言つてたその声が堀江由衣でなければ「これは1994年製のアニメですか?」と思つてしまふ様な古臭さが何ともいへないなこれは。フォーマットの母たる高橋留美子ですらもつと時代に即したものを生んでるぞ。キッズステーションで「らんま1/2」を観てしまつた時の居た堪れなさに近いものを感じる。絵もギャグも演出も。
原作ラノベは読んだことないけど、やはりそんな感じなのだらうか。

MacのUIとキーボードショートカット

Windowsと比較してMacが優れてゐるかどうかはとりあへず脇において、MacのUIに対する考へ方と、その中におけるキーボードショートカットの位置付けについての私見
まづ、MacのUIが登場時に画期的だつたのは紛れもない事実だらう。その思想の根底に「すべての操作がボタン一つのマウスで行へる」といふのがあり、その実現のためにデベロッパー向けにインターフェースデザインのガイドラインを配布し、それに従ふ様勧告した。故に、初期のMac向けのアプリケーションはある程度統一されたデザインになり、ユーザーも戸惑ふことなく各種のアプリに触れられることになつた。
もはや今となつては神話のやうな話だけれども、この神話が真実味を持つてゐたのは精々「漢字Talk」と呼ばれてゐた頃までではないだらうか。初めて「MacOS」の名が与へられた8の頃ともなると実質的には神話の残滓が幅を利かせてゐただけの様な気がする。※訂正:MacOSと呼称される様になつたのは7.6からださうだ。昔のことなので忘れてるなあ
その最たる例がキーボードショートカット。これは思想的にはマウスで全てを操作しなければならないMacのUIにおいて、特に頻繁に行はれる操作を楽に実行するための「おまけ」として用意された機能であるはずだ。しかし、逆説的にいへば、これが「発明」された時点でMacのUIは作業効率の面で劣ることを認めたにも等しい。勿論、だからといつてMacのUIが優れてゐない訣ではないけれども、少なくともMacのUIは作業効率を犠牲にしてまで達成したい目標があつたといふことで、実際に作業効率は犠牲にされたのだと思ふ。キーボードショートカットはそれを補ふための「おまけ」でありUIの本質ではない。
そしてMacOS8の頃ともなると、キーボードショートカット周りに関しては目も当てられない有様になつてゐた様に自分には感じられた。例へば同じAdobeの製品でも「Photoshop」と「Illustrator」ではショートカットの割付けが違ふ。「Photoshop」や「Illustrator」同士であつてもメジャーバージョンアップの度にキーの割付けが変更される。そんなことは日常茶飯事だつた。これも勿論Appleのせゐではなくてデベロッパーが悪いだけの話なんだけども、MacのUIに関する「神話」がすでに形骸化してゐる事実の証左にはなるだらう。
また、キーボードショートカットに多数の機能を割当てるために、例へば「上書き保存」は[cmd]+[S]、「名前をつけて保存」には[cmd]+[shift]+[S]などといふ複数キーの同時押しが割当てられることも当り前になつた。さて、「名前をつけて保存」がやりたくて、うつかり[shift]を押し損ねて大事なファイルを上書き保存してしまつた経験がある人は居ないだらうか。おそらく、誰でも一度ならずさういふ操作ミスを犯したことがあるのではないか。何々、「あらかじめ作業ファイルを複製しておかないのが悪い」「操作ミスするのが悪い」云々。仰る通り。しかし、それらの批判はキーボードショートカットが思はぬ事故を起し易いといふ事実を何ら免罪しない。
大量のファイルに対して反復的な操作を行ひたい場合、Windows式の[Alt]→[F]→[M]→[V](例として私があるアプリでよく使ふ操作)といふ数段階のストロークを行ふ方が、押し間違ひの可能性のあるショートカット一発操作よりもはるかに安全かつ効率的である。ある程度冗長性のある操作の方が人為的なエラーを回避できる可能性は高い。「同時に三つのキーを押す」ことと、「三つのキーをひとつづつ順に押す」ことと、どちらがミスを犯す確率が高いかといへば絶対に前者である。前者の操作には手先の器用さが求められるが後者はさうでないからだ。なんらかのハンディキャップによつて前者の操作が行へなくても後者ならできるといふ人も多からう。
そもそも、Mac式のショートカットキーはデベロッパーによつて割付けが恣意的に決定されるため、全ての機能が網羅されることはない。第一さうするためにはキーの数が足りない。その点でメニューのすべてにキーボードでアクセスできるWindowsのAltストロークとは根本的に性質が異なるのであり、同列に並べて優劣を競ふべきではないだらう。
作業効率で劣るインターフェースを補ふためと称して徒に「便利な機能」を増やし、かへつて要らざるストレスを生む要因となつたといふ意味で、MacOSも結局のところ他のOSと変らない混沌の道に入つて久しいといへる。少なくともMac式のショートカットキー操作がWindowsのAlt系キーストローク操作に比べて優れてゐるといふことにはならないし、とりわけ一回の操作が複数ストローク操作に勝るといふ考へ方には賛同しかねる。

Windowsではむしろキーボードショートカットよりも右クリックによるコンテキストメニューが多用される傾向にある。しかし、それでは操作の度にマウスに手を戻さねばならない。マウスのみで作業するようなアプリケーションはごく少数で、作業の大半はキーボードによる入力であるから、キーボードのみで作業が完結しない方式は分が悪い。

これは、私の周りの作業の実態とはかけ離れた状況なので「世の中にはさういふ職場もあるのか」といふ感想しか出てこない。オペレータ個人が培つた経験や職場毎に慣例化した作法の違ひによつてどうとでも変るのではないだらうか。UIの設計思想から読み取るならば、Windowsの方こそ「キーボードのみで作業が完結する」やうにできてゐるはずである。私はMacOS Xになつてから日常レベルの作業をしたことがないので分らないが、今のMacOSではすべての操作に対してキーボードからアクセスできるやうになつてゐるのですか。また、OS X以降はショートカットも整理されてある程度の共通化が達成されているのでせうか。だとしたら私の認識が古いといふだけなのですが。
以上、殊更にMacを貶めたい訣でもWindowsを持上げたい訣でもなく*1、「神話」レベルでのMacのUIに対する思想には未だに大いに共感するのだけれど、実装レベルでそれがWindowsに対する優位であるといふ考へには反対とする意見でした。MacのUIには「デベロッパーに対して、インターフェースをOSに合はせてデザインすべきだといふ思想を一般化させた」といふ歴史的な功績はあつても、現状のWindowsに対する優位性としてそれを持ち出すのは、何か違ふ気がするのです。
さういへば、一番Macをヘビーに使つてゐた頃は「Quickeys」なんていふオレ様ショートカット割付けソフトを買つてきて片つ端からショートカットを定義してゐたけれども、すぐに使ふのをやめた。標準的でない操作に身体を馴れさせて困るのは自分自身だと悟つたからだ。以来、パソコンにしてもなんにしても、過度なパーソナライズは施さなくなつたしUI系のプラグインなどは一切使はないことにしてゐる。随つて、それらが充実してゐる故に「使ひ易い」とされる「Firefox」などを使用することは今後もないだらう。

  • 2008年02月26日 nasuhiko
  • 2006年12月14日 RanTairyu
  • 2006年10月27日 michys カスタマイズの悪い部分について同意。他のところは分かってないけど、WInowsのほうがキーボードショートカットが少なかった気がする。気のせいかも。

*1:何度も書いてゐる通り、私が今Windowsを使つてゐるのはタブレットPCWindowsにしかないからで、タブレットPCであるか否かは今の自分にとつてはOSの好みをも凌駕する唯一無二のポイントである

今日のゲーム(十月二十七日)

プロジェクト・ゴッサム・レーシング3(Xbox360,Microsoft,ASIN:B000BNBB0Y)PGR3-プロジェクト ゴッサム レーシング 3- - Xbox360

で、DVDドライブに何が入つてたを確かめるべく起動したらこれだつた。まあ、これか「Over G」のどちらかしかないけれど。どちらも遊び始めれば面白いですよ。
プラチナメダル狙ひでタイムアタックを数本。結局二つしか獲れなかつたが、少しづつ速くなるのを実感するのは楽しい。特にコーナーを一段高いギアで曲がれるラインを見つけたときは堪らない。最適化の喜びといふと、まづ何をおいてもこれかなあ。
かういふ気持ちをわやにするからセッティングとかは嫌ひ。もちろん、セッティングを煮詰めるのも最適化の喜びには違ひないけれど、ゲームの場合は最適解が用意されてゐて、そこから引き算した状態のものを手渡されてゐる様にしか感じられないから萎える。まあ、それはあくまで感じ方の問題か。

ピンキーストリート キラキラ☆ミュージックアワー(NDS,dimple,ASIN:B000FJ8D8C)ピンキーストリート キラキラ☆ミュージックアワー (初回限定版:ピンキーフィギュア付)

久しぶりに買つたパッケージソフトがこれですかい。
Pinky:st.は、出始めの何種類かを店に行つたら売つてたのでいくつか買つて適当にパーツを組替へて遊んで一日で飽きたといふレベルではあるけれど、まあ気に入つてゐた。ワンオフ的なスペシャルバージョンとかワンフェスで売つてるキャラ物のカスタムパーツにはほとんど興味なし。なんかさういふのとは違ふ感じ。
んでまあ、このソフトも店に行つたら売つてたので買つた。音ゲーといふかリズムゲーだし。
大まかな構成は「押忍! 戦え!! 応援団」に似てる感じ。いや、絵ぢやなくて。マップ上のステージを選んでライバルキャラと対戦。それぞれのステージごとにショップとかガチャガチャがあつて、本物のピンキーよろしくコスチュームとか小物を集めて主人公のルックスを自由にあれこれできるのが特徴。
CGキャラのモデリングは、DSでよくぞここまでといふレベルでよく出来てる。DSのくせにトゥーンレンダリング風の輪郭線まで出してるし、ライブが始まるときにはライティングのコントロールまでやつてゐて、かなり頑張つてる印象。まだ始めたところだから全体のボリュームは分らないけど、交換できるパーツの種類も十分揃つてる予感。ピンキーのゲーム化といふ点では申し分ないんではないか。「ぷよぷよ」みたいな漫才デモも楽しいし。キャラが無表情なのはピンキーだからいいのだ。
リズムゲーとしては、やはり「応援団」といふか「クルクルトゥーン」の様な系統で、他聞に漏れずそれらの欠点まで引き継いでる。何がといふと、操作と演出がかけ離れてゐるために遊んでゐる間はキャラがどんなに踊つてゐてもそれを見る暇がない。それを補ふ為のリプレイが用意されてゐるが、後からそんなの見ても嬉しくも楽しくもないんだよな。ダンス系のリズムゲーでこの問題を解決してるのつて「スペースチャンネル5」くらゐのものだけど、あれを真似るとあれにしかならないしな。同系に「ユニゾン」なんてのもあるけどあれは超絶覚えゲーであり、一曲分の振り付けを丸暗記せねばならないといふのはもはやゲームの範疇を超えてゐる。
話が逸れた。ゲームのシステム自体も、リズムゲーといふフォーマットで凝つたことをしようとすると陥りやすいところにきつちり陥つてる感じで、要するにあまり曲に乗つてる感じがしない。タッチとスクラッチの見分けとかスクラッチする方向の判断が必要なために、動物的なリズム感とは別のところに意識を割かなくてはならない。この点、すでにジャンルの決定版ともいふべき「リズム天国」が出た後だけに厳しいなと思ふ。
曲の出来は、うーん、どうだろ。「応援団」みたいな全曲歌モノといふのは無茶としても、今ひとつ印象に残りにくいかな。DSの音源で普通の音楽を作ろうとしたら薄味になつた、みたいなイメージ。ピンキーの雰囲気でコテコテといふのもどうかとは思ふのでこんなものか。
まあ、目を三角に釣り上げて遊ぶやうな種類のものではないので思ひ出した時にまつたり遊ぶのがよさげ。
つか、イービルかはいいよイービル。