旧仮名遣いを使っている方々がどう受け取るのかはちょっとわからないんだけど、良し悪しの話じゃなく人々が旧仮名遣いの人達を見たときに受ける印象として「仮名のコスプレ」より正鵠を射たものはないと思う。旧仮名遣いは仮名のコスプレ。見事な言語化だ。https://t.co/0Il67TE5tk
— 牧山██ (@kaicho121) 2018年4月23日
まあ何も知らなければさう見えるのだらうが、ちやんと經緯を知れば「現代假名遣こそ假名のコスプレ」であるとしか言ひ樣がない。
コスプレとは、實用的でなく傳統にも即してゐない、ただ見た目を眞似ただけの衣裳を着て遊ぶこと。現代假名遣の成立ちそのものである。それを學校で教へてゐるといふのはつまり、ドンキホーテかどこかで買つてきた安つぽい布地のセーラー服を制服として採用し、それを着て學校やフォーマルな儀禮に參列するのと變らない。よくそんなみつともない眞似ができたものですね。
とまあ、最近この手の話題を目にするにつけ思ふこととしては、言語的な部分といふのはどうしても民族的な感情を刺激されるんだらうなと。アンチ舊假名の人と、街中のサイン表示にハングルや簡體字を見て苦々しく感じる人は共通するものがあるのだらう。
昔、歴史的假名遣を使ひ始めた頃に「舊假名は見た目がバロックだからなー」とある人に言はれたことがある。まあ言はんとするところは解るけれども、正則に從つたものが「バロック(歪)」だとは酷い言ひ草もあつたものだ。それが單なる違和感の表出だとしても、何故皆現代假名遣が「普通」だと思へるのか、今の僕には理解出來ない。「皆がさう言つてるから」以外の理由を誰か持つて來てよ。