歴史的假名遣や正漢字が氣に喰はなくて仕方のない人が「どじょうはどぜうと書くのではなくどぢゃうと書くんだよバーカ」といつた旨のことを書いてゐるのたが、何で我々がそれを知らないと思つたのだらう。
駒形の看板に「どぜう」とあるのは何なら「どじょー」と書くのと同じことで、別にさういふ屋號なりブランドなりを使つてはならない決まりなどない。「どぜう」は歴史的假名遣ではないし、「どじょー」は現代假名遣ではない。益體もないただの看板だ。
「現代かなづかい」つて、「現代に使はれてゐるかなづかひ」といふふんはりしたものぢやなくて、元を糺せば七十年前に公布された内閣告示だからね? 判断に迷つた時はここに書いてあることに随へと示す爲の例示がずらずらと書いてある、讀むのも面倒くさい取決めの塊だからね?
そこに書いてあるのは「歴史的假名遣でこの様に書くものはかう書換へる」といふものでしかなくて、歴史的假名遣を使ふ限り全く必要のない無駄な資料なんだよね。現代假名遣はさういふ無駄の上にやつと成立してゐる。そしてそれなしに自らを定義できない。
8. 歴史的仮名遣いは,明治以降,現代かなづかい(昭和21年内閣告示第33号)の行われる以前には,社会一般の基準として行われていたものであり,今日においても,歴史的仮名遣いで書かれた文献などを読む機会は多い。歴史的仮名遣いが,我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして,尊重されるべきことは言うまでもない。また,この仮名遣いにも歴史的仮名遣いを受け継いでいるところがあり,この仮名遣いの理解を深める上で,歴史的仮名遣いを知ることは有用である。付表において,この仮名遣いと歴史的仮名遣いとの対照を示すのはそのためである。
「そのためである」などと言ひ訣してゐるけど、「ただの書換へだから他に根拠を示せませんテへッ」つてことだよね。