大和但馬屋日記

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人は道具に作られる

Surface Pro 4を修理に出した。修理依頼の一連のフローは非常に洗練されてゐて、WindowsサポートとXbox 360のレッドリング對應で培はれたノウハウによつてスムーズに行へた。そのフローに慣れてるユーザー像といふのもをかしなものだが、便利なのはよいことだ。

正字正假名を否定したい人の言ふことは「否定したい」が先に立つから必ず支離滅裂で、かういふ筋の通らぬことを平氣で書き散かす。
先づ「表音主義がなければパソコンで打ち込むことはできない」などといふ誤り。いつの時代の人間だ。現にこの日記は表音主義による入力に一切頼ることなく認められてゐる。道具は進歩するものだ。道具如きで言葉を左右されて堪るか。書き言葉はペンで書くしか手段のなかつた明治人の特權ではない。現代の日本語は現代の我々のものだし、現代に生きる俺は現代の道具の御蔭で簡單にこの樣な表記を扱へる。假名遣も漢字も、わからなければかうして手で書いてゐる隣のウインドウですぐ調べられるし、かうして手で書いてゐればすぐに手が憶えてくれる。實踐に勝る學習はない。もはや日常のメモ書きでも略字を使ふ機會が減つた程だ。パソコンの舊態依然とした規格に基くキーボードや標準IMEといふ不出來な道具の軛をまるで自分の思想の體現の様に嬉々として受容れて、そこから外れたものを排除しようとするのは何とも馬鹿馬鹿しいものだ。
何より、もし漱石や島村の時代にパソコンが普及してゐたなら彼らは當然パソコンでリズミカルに舊字舊假名を入力してゐたに違ひないのだし、戰後の拙速な國語國字改革が末賨施のまま現代を迎へてゐたならば、上記の樣な人を含む誰も彼も同樣にさうしてゐただけのことなのだ。
パソコンやワープロ以前の作家にとつて「書く」とは何より仕事として要求される文字數と自らの肉體的限界との戰ひであった。多くの作家はペンを握る指の腱鞘炎に惱まされ、中にはペン軸に布テープなどを何重にもグルグル巻きつけて、 直徑五センチ程にした太い「ペン」を鷲摑みにして原稿を殴る樣に書きつけた作家も少なくないといふ。ある作家は早々にワープロを導入し、あらゆる單語を假名二文字程度に略して變換できる様に片端から辞書登録し、その略語表を付箋にしてワープロのディスプレイの周囲にビッシリと貼つてゐた。かうなるともはや表音表記とも異る腦と指の使ひ方で文章を入力してゐるのであるが、さうして認められた結果出力されるのは紛れもない日本語である。人の手を經て讀める形に編緝され整へられた日本語である。今はそれらの作業を一通り自分でできる。略語による入力の簡略化は現代の予測変換入力にも通じよう。
どうやつて書いたかなんてのは畢竟どうでもよいのだ。明治の文豪の名前など適當に竝ベたつて、それで俺の、ひいては我々日本人の今の言葉の有り様を極めつけられはしない。