大和但馬屋日記

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エンディングとスタッフロール

あるところで、あるゲームソフトのエンディングがショボいといふ話になつてて、まあそのこと自体には是非はないんだけれど、ゲームのエンディングとスタッフロールがほとんど不可分かつ不可欠のものとして語られてゐるのをみて「さういふコンセンサスが出来上つたのはいつからだらう」と思つた。まあ、いつからもなにも二十年前には出来上つてゐるのだけれど。
ゲームのエンディング画面に制作スタッフの名前を出したのはたぶんアーケード版「ドルアーガの塔」からだよね。あれはまだ一画面で、スクロールも切換へも無かつたけど。ファミコン版で長くなつてスクロールして、本当に映画風になつた。この「ドルアーガ」以前にエンディングとしてのスタッフロールがあつたといふ話を自分は知らない。海外製RPGとかになると全くお手上げだが、たぶんさういふ文化はなかつたのではないか。
今でも海外産ゲームではスタッフクレジットをエンディングに流す様なことをせず、メニューから選んで見られる様にしてゐる例がほとんどだと思ふ。一方、日本のゲームではジャンルに関らず、エンディングとしてスタッフロールを見せる方法に拘りすぎてゐる。
日本でさういふ常識が出来上つた背景として、昔はヘッドハンティング防止のため制作者名をなるべく明したくなかつたから、といふ話を聞いたことがある。二十年前のスタッフロールなんて殆ど意味不明な偽名やニックネームばかりだもんな。あとはやはりテレビ番組や映画の影響が大きいだらう。どういふ経緯があつたかは知らないが、結果としてスタッフロールは「ゲームを最後まで遊んだ御褒美」として扱はれてゐる。
しかし、よく考へればそれはをかしな話ではないか。テレビや映画ならば、最後まで観てゐれば誰でもスタッフロールを確認できる。しかしゲームはさうではない。RPGなら数十時間、それ以外のジャンルでもそれなりの努力とそれに伴ふ時間を費やさないと見られない。ゲームによつては一生見られないなんてこともある。ぢやあ、さうまでしてスタッフロールなんか見たいのかといふと、それはそれで違ふだらう。スタッフロールを見たいがためにゲームをしてるのか? 違ふよな。
もちろん日本製のゲームでも、一部ではマニュアルにスタッフクレジットをきちんと載せてゐたりする。本当はそれだけでもいい筈だ。
まあ、今となつては「ゲームを最後までプレイしてエンディングデモ+スタッフロール」といふのが通俗的な「感動」のスイッチとなつてしまつてゐるやうだから、それが不可分かつ不可欠であるといふ常識を疑つても仕方ないのだらう。ワシはエンディングを見るためにゲームを遊んでゐる訣では全然無いから、未だにゲームの作曲者などの話には疎いままだ。