大和但馬屋日記

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掌の上の自由

昔、レースゲームを作る仕事に携はることになつた。まあ、いろいろあつて頓挫したんだけどさ。で、集められたスタッフの中にはあまりレースゲームのことを知らない人も居たんで、オレが手持ちのゲームをドサッと職場に置いてみた。
案の定、これから作らうとしてゐるものとは無関係に「面白い」と評判になつたのはDC版の「クレイジータクシー」だつた。分り易いな。本当に面白いんだから仕方がないよな。
で、ある程度皆がハマッた頃合を見計らつて、「このゲームのマップつてどんな構造だと思ふ? 実はこんなんやで」と言つてどこかの攻略サイトにあつた全体マップ画像を見せてみた。するとやはり「ええッ!? 嘘やん、ホンマに?」と驚くのだ。それあさうだ、オレだつて驚いたもん。
遊んだことの無い人には分りづらいだらうから簡単に説明すると、このゲームは自分がタクシーの運転手となつて町に点在する客を拾つてその客の指示する目的地まで走り、着いたら客を降ろすといふ内容だ。うわ、全然このゲームの魅力を語つてねえ。当然、客の居場所も目的地も一度や二度のプレイで覚え切れるやうなものではなく、プレイヤーは広いマップの中を縦横無尽に走り回らされる。‥‥そのやうに思ひ込まされる。
ところが、実際に全体マップを描いてみるとそれはほぼ単純な円環構造であり、道に迷ふやうな要素はほとんどない。スタート地点から少し進んだ先がサンフランシスコのやうな坂の街になつてゐて、そこから遠く離れた円環の反対側あたりにオフィスビル街のやうな町並みが用意されてゐる、その辺りの道が少しブロック状に枝分れしてゐるだけで、巨視的に見れば本当にただの一本道でしかない。プレイヤーはただその円環道路を行つたり来たりしながら、右に左に駆けづり回るやうな錯覚をしてゐるだけなのだ。
その全体マップを見たときの驚きといつたら。ゲームを相当やり込んで、マップを二周三周するのが当り前になるほど乗客の配置や目的地の場所を頭に叩きこんだ後にそれを見たのに、である。結局、オレは個々の相対的な位置関係しか把握してなかつたといふことだ。まるで「天使のたまご」のラストシーンを見た時に観客に感じて欲しいと押井守が願つたであらう驚きを、オレは「クレイジータクシー」で味はつたのだ。
それでも、「クレイジータクシー」を遊んだ人なら、これを「自由度の高いゲーム」だと感じるのではないだらうか。実際、オレもさう思ふ。全体マップを見た後ですらさう思ふ。身勝手な客の要求にヘイヘイ、唯々諾々と従つてゐるだけかもしれないけれど、しかしあの青空はオレのものだ、あの公園の丘はオレの道だと思へる。皆だつてさう思ふはずだ。

追記

最初は『自由にいろいろなところを走りたい!』というメンバー意見がかなり出ました。そこで『自由度が高いと”感じてもらえる”コース』をコンセプトに打ち出しました。このコンセプトは『自由度が高いコース』とは大きく異なるコンセプトなのです。
自由度を高くしようとしていくと『ここも走りたい!あそこも走れるようにしよう!』となっていくのは目に見えてます。そうすると実際にゲームになった場合『どこを走れば正解なの?』という疑問を感じてプレイしてしまう結果になると思うんですよ。

今村さん(id:manpukuya)にPS2版を勧めようとして調べてゐたら公式サイトにこんな文章を発見。オレがうだうだ書く必要なかつた、どころかここ最近の「自由度」議論へのひとつの回答すら示されてゐるではないか。
Yeah! Yeah! Yeah! Yeah! Yeah!!! やつぱり「クレタク」は最高だ。つか、また掌の上で踊らされたなオレ。