大和但馬屋日記

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略語はニッチを奪ひ合ふ

yms-zun2007-05-16


昨日からの続き。

略され方はどれも同じ

言葉の省略について次の様に考へる。

  1. 携帯電話→「携帯」
  2. ハードディスク→「ハード」
  3. Wikipedia→「Wiki

いづれも発生原理は同じだ。ここで挙げたそれぞれについていへば「携帯」は世の中に定着した例、「ハード」は定着しなかつた例、「Wiki」はまだどちらともいへない例だと思ふ。これを「いい略し方」と「悪い略し方」に分け、Wikipedia→「Wiki」を悪い方に押し込まうとするのは単なる恣意的な判断だ。
携帯電話のことを「携帯」あるいは「ケータイ」と略すことに眉を顰める向きはもちろんあらうが、最早それを主張しても詮無いほどに、この略し方は定着してしまつた。この略し方を「よくない」とする根拠は恐らく唯一つ、「携帯といふ言葉は広範に使はれる一般名詞なのだから、携帯電話だけを指すのは適切でない」といふ点に限られるだらう。ワシもさう思ふ。考へ方としてはそれを支持する。言葉は正しく使はれるべきだ。しかしそんなことを言ひながら、ワシもだらしなく略語を使つてしまふ人間なので、残念ながら携帯電話のことは「携帯」と言つてしまつてゐる。
他の例にしても、「その略し方は駄目」とする理由は同じである筈だ。

ニッチの意味はWikipediaでいいから調べてください

一昔前にはハードディスクを「ハード」と略す人が結構居て、パソコンに詳しい人がそれを窘めたり陰で馬鹿にしたりといふことがよくあつたと思ふ。流石に最近はさういふ話は聞かなくなつた。未だにハードディスクを「ハード」と呼んでしまふ人は多くはないだらう。でもそれは、既にある「ハードウェア」の略語としての「ハード」と衝突してしまふからであり、その衝突の不便を誰もが納得する程度には「ハードウェア」も「ハードディスク」も同じ分野で同じ様によく使はれる言葉だからではないか。
これは生物学における「ニッチ」の考へ方にそのまま当て嵌めてもよささうだ*1
フロッピーディスクを「フロッピー」と略しても誰も困らないが、ハードディスクを「ハード」と略すのは困る。「ハード」といふ言葉の指示対象はすでに「ハードウェア」が占めてゐたからだ。といふことは、仮にハードウェアが「ハード」と略されてゐなかつたら、ハードディスクが「ハード」と略されることに何の問題もなかつた訣だ。つまりハードディスクを「ハード」と略すことは別に誤りだつた訣ではない。それが誤りであるならば、ハードウェアやソフトウェアのことも「ハード」や「ソフト」などと略すのはをかしい。携帯電話を「携帯」と略すのと同じくらゐをかしい。たぶん英語では"hardware"や"software"を"hard""soft"などとは略さないだらう。
略し方に良し悪しがある訣ではない。すでにあるニッチを侵食しようとしてゐるから衝突が起きてゐるだけだ。単なる勢力争ひであれば、力のある方が勝つに決つてゐる。
並み居る「携帯用××」を押し退けて「携帯」の言語的ニッチを獲得した携帯電話の力には恐れ入るばかりだ。そればかりか「電話」の領域すら侵食して、かつては単に「電話」と呼べば済んだはずの家置きの固定電話のことを「家電(いえでん)」などと呼ぶ必要まで出てきたのだからその力は圧倒的だと思ふ。

WikipediaWikiの項目にも「略すな」と書いてあるけどさ

ではWikipediaはどうか。Wikipediaを「Wiki」と略す人の多くは、たぶんWikiといふ汎用的なシステムのことを良く知らずに、ただ長い単語を約めて「Wiki」と呼んでゐるのだと思ふ。その発想の原理は「携帯」「ハード」と同じだらう。しかしWikiといふシステムの存在を知る人は、Wikiを利用した一コンテンツにすぎないWikipediaWikiと呼ばれてしまふと何のことか分らず混乱してしまふかもしれない。だからさういふ略し方は困る。尤もな話だ。しかし結局、それはニッチの衝突の問題にすぎない。
問題は、Wikipediaを「Wiki」と略す人にとつての「Wiki」といふニッチが、ハードディスクを「ハード」と略して困るのと同程度の存在であるかどうかだらう。
ぶつちやけ、困らないよな。
さういふ人が日常的に目に触れるWikiのシステムつて、Wikipedia2ch派生のまとめWikiくらゐのものだらうし。自分でサーバ立ててWikiを構築するなんてのは所詮マニアックな所業であり、この先何かの切掛けで一大ブレイクしてネコも杓子もWikiを使ふなんて時代はたぶん来ないだらうし。むしろWikipediaが「Wiki」と略されることによつてWiki自体の知名度が上がることはメリットですらあるかもしれない。Wikiのことなんか知らなくたつてWikipediaは使へるのだし。
利害的な側面だけの話をすれば、さういふ風にも考へられるといふこと。この先、この略し方が定着するか否かは「Wikiといふ略語は困る」派が「そんなの気にしない」派に押し切られるかどうかだけに掛つてゐる。「困る」派は数に劣るが強い動機を持つてゐる。「気にしない」派は数で勝るものの動機を持つてゐない。しかし他の例と同様、言語的に自然なことを無意識に行つてゐるだけだからその淘汰圧は圧倒的である。
ワシ自身は「別に困りはしないけどその略し方は居心地悪い」程度にしか思つてゐないので、まあどつちでもいいです。何でもかんでも略語にすることがそもそも悪い。ワシを含めた多くの人間は言葉にだらしないから悪いことをする。それだけ。

つふか(混ぜ返し)

Wikipedia」なんて名前にしたのが悪いんぢやないのか。WikipediaだつてWikiのひとつなのだから、そもそも全く間違ひを言つてゐる訣ですらない。
「こないだ本で読んだんだけどさあ」といふ話になつて「どの本のことだよ」と怒り出す奴は居ないだらう。WikipediaWikiと略して怒る奴が居るとしたら、そいつはそのことで怒るチャンスを今か今かと待つてたんだよきつと。

蛇足

「Window」を「画面」といふのは、それこそ少し違ふ話なのでは。「PC-98一太郎と呼ぶ」に対応しさう。

  • 2007年05月16日 mhrs

*1:言葉は生き物ですから!! あーはいはいさうですか

Wikipedia→「Wiki」と携帯電話→「携帯」は対応しないのではないかといふ指摘

意味から略語を捉へると、もちろんその通りだと思ふ。しかし、それは考へ方の順序として逆なのではないかといふのが私のそもそもの立脚点である。だから元の言葉と略語との関係を意味でなく形の相似で抜き出した。
実際のところ、日本人が略語を考案する時に、意味的な整合性を考へることは滅多にないのではないか。二語以上の複合語を省略する場合、前半の語のみを取り出すか、前半と後半から頭の一文字(あるいは二音節程度)を取り出してくつつけ直すかのどちらかであり、いづれにせよ元の言葉の持つ意味性が破壊されることについては全く以て頓着しない。それが現代日本語における略語の「作法」だと思はれる。稀に中ほどから抜き出す場合があるとしても、それはどちらかといふと語呂を重視してゐるのであり、意味に留意してゐる訣ではないと思ふ*1
「携帯電話」が「電話」ではなく「携帯」なのは、「携帯」が前にあるからにすぎない。せめて「携電」なら少しはマシだつたかもしれないが、さうならなかつたのだからこれは言つても仕方がない。昭和五十年代くらゐまでなら、さういふ略され方だつたかもしれない。「電話」と略される可能性については、意味よりもまづ「携帯電話」といふ文字の並びであるが故にまづ有得なかつたのではないかと私は考へてゐる。
あるいは、修飾辞が先に立つ日本語の構造が、頭から略してもそれほど意味の衝突に注意を払はなくても済むと言ふ気質を産みだしたのかもしれない。

*1:但し、より狭い範囲で使はれる隠語の類になると逆の現象が見られる様になるが、ここでは除外する

今日のゲーム(五月十六日)

LUMINES Live!(Xbox360,Q Entertainment)

チャレンジモード"Base"クリアの実績解除。解除要件の文言は「一周クリア」だが実際は「最後のスキンまで到達」つまりクリアしなくても取れる。そして実際クリアできなかつた。ヘボい。
まだ十分に上手くはなつてゐないのに、早くも脳が別のことを考へるモードに入る様になつてしまつて困る。ワシの中でこのモードに入つたゲームはほぼ死んだも同然になるから。これは「飽きた」とは別の現象なんだよな。
タイムアタックの難しい方の実績が取れる様になるまで少し頑張つてみて、それでも治らないやうなら諦めよう。
ともかくジョイスティックで遊びたい。パッドだと指が痛すぎるし下手したら腱鞘炎が再発しさうだ。