大和但馬屋日記

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虚構の常識

福岡のとある銀行から引出された三億八千万円もの現金が盗まれたといふ事件で、銀行が紙幣番號を記録してゐなかつたと証言したことについて。
まとめよう、あつまろう - Togetter
金融に詳しい人達の言ふ處によると「三万八千枚もの紙幣の番號などいちいち控へてゐられない」「一億圓單位で日銀のビニール封がしてあつて、開封してゐないことでそれが枚數に缺落のない本物の一億圓であることが保証されるのだから、開封して番號を控へる意味がない」。成程さうだらう。しかし世の人は「昔の三億圓事件で紙幣番號が捜査の手掛りとして喧傳された」「その事件以後、刑事ドラマなどで凶惡犯人が大金を要求する際に番號を照合されぬ樣バラの古札を要求する描冩が當り前となつた」などを理由として「銀行は紙幣番號を把握してゐるものであり、さうしないのは怠慢である」と認識してしまつてゐるらしいのだ。
これがどれだけ馬鹿馬鹿しく誤つた認識であるかは、自分で實踐してみればすぐ分る。財布の中の紙幣を、手書きでもスマホ撮影でも方法は何でもいいから控へてみるといい。財布に何枚あるか知らないが手持ちの紙幣の記録をとってみて、その記録が何の役に立つか考へてみてはどうか。その日、外に出て金の出入りがあつたとしよう。その記録をまたいちいち殘せるか? 新たに財布に入つて來た紙幣が、過去に記録したものと同じがどうかを忘れず照合できるか? 宝くじの當籤番號を調ベるのだつてあんなに面倒臭いのに、「當るかも」といふ期待感もなしに一々そんな照合なぞやつてられないだらう? 用もないのに、出入りの激しい紙幣の番號なんて控へても時間と手間を無爲に捨てるだけだらう? 頼まれたつてやる氣も起きないだらう? それが理由の全てだ。技術的に不可能ではなくとも、技術を投入する意味すらない。銀行の窓口では、とある顧客から受け取つた現金を次の顧客に對する支拂ひに使つたりするのである。銀行にとつて意味があるのは出入りする金額の額面だけであつて、その遣り取りに使ふ貨幣は僞物でさへなければ何だつていいし、一々氣に掛けたりはしないのだ。
假に何らかの技術を投入して三万八千枚の紙幣の番號を記録して、ではその記録をどう使ふ? 盗まれた紙幣がどこかで使はれたとして、誰がそれを照合するといふのか。もう一度想像するといい。手許に一枚の宝くじ券があるとして、新聞に三万八千通りの當り番號が記載されてゐる。但しそれらはすべて法則性のないバラの番號である。調べる氣になるか? 俺は嫌だ。誰かに「あげるから當つてたら一割よこせ」と言ふだろう。勿論この照合も自動化できない話ではないが、では犯罪に使はれた紙幣を拾ふ爲に世間にどれだけの讀取装置を普及させなければならないのか。ありとあらゆるレジやATMにそれを付けるか? それとも毎日すベての紙幣を銀行が囘收して、問題のない紙幣と交換して調べるといふのか? 無理なのだ。物理的にも、コスト的にも、そして勿論倫理的にも。
そも、巨額の現金が動く樣な事件などさうさう起きるものではない。番號を控へるといふ發想の元となつた三億円事件では偶々新券の連番が含まれてゐたからさういふ發想が生まれたのであらうが、何より重要なのは、その捜査方法は何の成果も上げなかつたのである。紙幣番号など、犯罪捜査の爲には何の役にも立たないのだ。
年間に発行される一万圓札の枚數は十億内至十二億枚ださうだ。過去五年間に発行された流通紙幣だけで五十億内至六十億枚の中から、今囘盗まれた三万八千枚の「當り」を引ける確率について考へれば、その記録の無意味さが少しは解るだらうか。俺はさう理解した。