大和但馬屋日記

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味方に向けられた砲口

シン・ゴジラ」の序盤に、品川附近で自衛隊が未確認生物と初めて對峙して攻撃の許可を總理大臣に求めるくだりがある。總理が前例のない決斷を下さうとした正にその時、未確認生物と攻撃ヘリの間の踏切を横切る民間人老夫婦の姿が認められ、総理は即斷で攻撃中止を命令、結果的に未確認生物を取逃すことになる。それを見て「何だよ攻撃しろよと思つたが、あの夫婦がすずさん達だと思つたら撃てる訣がない」といふツイートを見た。
さて、昨日も触れた「この世界の片隅に」の昭和二十年三月十九日である。すずさんが前年の夏に「今はどこでどうしとるんぢやらうか」と心配までした「戰爭」が、遂に形を伴つてやつてきた日だ。早朝の呉の山々に對空戰斗用意のラッパの音が鳴響き、畑ですずさんと晴美ちやんがその響きに包まれて呆然とする。最初に火を噴いたのはすずさんの畑の眞正面方向にある鉢巻山の頂上の防空砲臺だつた。立ち盡すすずさんの眼前で帝國海軍の高角砲が火を噴いて、その初彈はすずさんの頭越しに破裂した。その背後の灰ヶ峰の稜線の向うから米軍の艦載機の群れが飛んで來て、すずさんが事態を理解するのはその後のことである。當時の對空砲彈は空中で破裂して飛び散るその破片で敵機に致命傷を負はせることを狙つた武器である爲、破裂の威力は大きいし、破片のスピードも相應のものとなる。地上の生身の人間に當れば勿論一堪りもない。花火などとは訣が違ふ。つまりあの時のすずさんは何が起きたかを知る前に命を落してゐた可能性が極めて高く、さうならなかつたのはただ運が良かつただけなのだ。
義父の圓太郎さんが駈けつけて身を伏せさせたその後しばらくは、空中から降り注ぐ破片が呉の民家の屋根瓦を割り、共同井戸の周囲の地面や樹木を穿つ描冩が續く。勘違ひをしてゐる人もゐるかもしれないが、これらは全て日本軍の高角砲の攻撃による損害なのだ。その日の米軍の攻撃對象は第一に呉灣周辺に停泊してゐる無數の艦艇であり、地上施設や市街地は目標に入つてゐない。最初の鉢巻山の砲臺も、續けてアップで描冩された灰ヶ峰の砲臺も、砲の向きは市街地の上空に向けられて、そこから放たれた破片が容赦なく呉の街を傷付けたのである。もつと端的に言ふなら、あの日すずさんの見た最初の「戰爭」は、味方の砲臺がすずさんの居る處に向けて放つた一發で始まつたといふことになる。
そのことを踏まへて先の「シン・ゴジラ」の品川防衛線の描冩について考へてみれば、一層味はひが増すのではないだらうか。大河内總理の決斷は止むを得なかつたとしか言へないし、現場も正しくそれに從つた。後に何が起きたとしてもそれは正しかつたのだ。