大和但馬屋日記

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假名遣は發音のルールではない

「女王」を「じょうおう」と讀むのは間違ひかどうかといふ話題を久し振りにTwitterで目にした。前にこの件に觸れたのはいつだ。
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ものすごい昔だつた。當時「巨商傳」といふゲームがあつたらしい。そして今もあるらしい。凄いな。それはさて措き。
取敢ず今の見解としては「現代假名遣で『じょおう』と書くことになつてゐるから『じょうおう』と讀むのは間違ひである」といふ態度は自分としては斷固誤りとしたい。「ぢよわう」を逐字的に置換へたのが「じょおう」であるならば、そんなものが讀み方の根拠として良いものではないのだ。現代假名遣にはその樣な何かの根拠となるべき正當な裏付けがそもそも認められない。
「じょおう」を發声すると「ジョーー」にしかならないが、「ぢよわう」は「ジョウオー」といふ發音を産む可能性を持つてゐる。漢字の字音を昔の様に表記するのは難しい。今更一般人が學習して保存するのも無理がある。それはそれとして、現代假名遣が言葉の發音を規定し得るものと考へるのはとんだ大間違ひである。假名遣とは「文字表記のルール」であり、發音のルールではないのだ。
現代假名遣は歴史的假名遣や字音假名遣で書かれる文字の一部を一定の法則で別の文字に置換へる、單なる文字表記上のルールでしかない。假名で「じょおう」と書くから「ジョオー」と讀むのではなく、今なら「ジョオー」「ジョーー」「ジョーオー」などと讀まれる可能性があるものを、傳統的な表記に則つては「ぢよわう」と書き、現代假名遣では「ぢよ」は「じょ」に、「わう」は「おう」に置き換へると決めた結果として「じょおう」と書くことになつてゐる、といふのが正しい認識であるベきなのだ。文字表記とはさういふものである。
この順序を間違へると、「今日からマ王」のオープニングテーマ「果てしなく遠い空に」の樣な酷い歌が出來上る。まともな日本語話者なら、この歌には激しい違和感を覺えて然るべきである。まさかこれを「『文字通り』丁寧に歌つてゐる」と勘違ひする人は居ないと思ひたいが、世の中は解らないものなのだ。