大和但馬屋日記

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「Forza 6」DLCは先月が最後ではなかつた。古いレースカーを中心に色々來たよ。

ワトソンといふコンストラクターのインディマシンが凄い。エンジンマウントが左に偏つてゐてギアが二速しかないのだ。

サスペンション構造は左右非對稱だし、完全にインディ500専用。當時はさういふものだつたのね。オッフェンハウザーのエンジン共々、あまり馴染のないインディの歴史を體感できるのは楽しいものだ。
とまあゲームもそこそこに、DVDで「空の大怪獸ラドン」を觀た。「シン・ゴジラ」にも言及するから一往畳んでおく。
先づ、餌として出てくるのはショッキラスぢやなくてメガヌロンだつたわ。なんかメガヌロンて「ショッキラス」感がありませんかさうですか。
觀始めるまで阿蘇が主な舞臺であることをすつかり失念してゐて、ちよつと辛い氣持で觀てゐた。
メガヌロンが出て来るまではサスペンスホラー風であり、「ウルトラQ」風でもあり。それは勿論逆なんだけど。ラドンは何をしたかといふと概ねただ空を飛んでゐただけで、それが傍迷惑だから退治されたといふ、これも怪獸映畫といふよりは災害映畫に近いかな。
今觀ると自衛隊の戰車がM24チャーフィーであると認識できる様になつてしまつてゐて「いざ尋常に勝負!」とか「チョー氣合入つてますねー」とか餘計な臺詞が頭に響いて困つた。
ラドンを退治する為には阿蘇山體への通常兵器を用ゐた攻撃により地中の巣穴毎ラドンを溶岩で埋殺すといふ作戰が立てられて、そんな事をしたら地域が潰滅してしまふといふ反論に背に腹は代へられぬと決断を迫られる邊などは色々普遍性があるなあと思ふ。
それまでの日本も地震や火山等の大規模災害は度々經験してゐるので、何も戰爭のメタファーだけで怪獣映畫が撮られてゐる訣ではないんだ。第二次大戰中からこの映畫の公開年である昭和三十一年までを數へても、鳥取地震東南海地震三河地震・南海地震・福井地震といつた千人以上の犠牲者の出た大地震が相次ぎ、枕崎・カスリーン・ジェーン・洞爺丸といつた壊滅的被害を齎した颱風も絶えなかつた。二年前の「ゴジラ」が戦爭の記憶を娯楽映畫に昇華させた様に、「空の大怪獸ラドン」は人々がいつ直面しないとも云へぬ大災害を娯樂の形でフィルムに焼付けたものだといふことはできるだらう。ラドンの起す風壓で福岡市街が漬滅するのは、明らかに颱風被害がモチーフだ。むしろこの風を起す為に「怪獸化したプテラノドン」が考案されたに違ひないし、もつといふなら序盤の炭鑛での出來事だつて当時の世相の反映だ。
シン・ゴジラ」を考察するに當つて過去の「ゴジラ」と對比して持上げたり腐したり元ネタ探しに汲々したりするのも楽しいけれど、「ゴジラ」に限らず東寶の特撮映畫はその時その時の時代の空氣や問題意識といつたものを巧く取入れてきたのであり、「シン・ゴジラ」と雖も先づはその延長線上にあるのだと意識しておくのがよいのだらうなと、思想的な空中戰をおつ始める前に思ひ出しておきたい。
それにしてもラドンのラストシーンが撮影中の事故の産物だなんてそれこそ思ひも寄らないし、さうと知つた後でもさうと思つては見られないな。
思ふにこれはカメラが捉へた自然の出來事なんだ。操演のピアノ線が灼切れた瞬間から、ラドンは模型でなく本物の怪獣となつて火の海に堕ち、その死に逝く様をフィルムに遺されたのだ。さういふことだ。