大和但馬屋日記

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ル・マン二十四時間レースは夏至の頃に行はれる。この時期、ル・マン市の日没時刻は現地の時計で夜の二十二時頃となつてゐる。番組の放送では毎年この話題になるたびに「フランスは日本より緯度が高い分だけ日が長いんですよ」と誰かがもつともらしく「解説」をする。2chの実況スレなどでも「もう少し北へ行けば白夜の国だからな」なんて誰かがしたり顔で書いたりする。いやいやいや。それは違ふ。全然違ふ。それを今から説明する。
まづ、ル・マン二十四時間レースの日のル・マン現地の日没時刻を二十二時としよう。同じ日の日本の明石市の日没時刻は丁度十九時である。実に三時間の開きがある。
同じ日の日本最北端にある稚内市の日没時刻はといふと、十九時二十五分である。ル・マン市は北緯四十八度。稚内市は北緯四十五度。明石市は北緯三十五度。明石から稚内まで、北に十度上つて日没は二十五分遅くなつた。さらに三度北上しただけで二時間半も遅くなるだらうか? そんな訣はない。つまり、緯度の差は日没時間が遅い理由の説明としては甚だ不十分であるといふことだ。他にも理由があるのだ。
では、残り二時間半の差はどこで生まれてゐるか。よく言はれる理由のもう一つは夏時間、サマータイムの存在である。欧米諸国ではこの季節、時計を各国の標準時から一時間進めて生活してゐる。つまり「日没時刻は二十二時」と言つても実質は二十一時なのだ。これで明石市との差は二時間、稚内市との差は一時間半。まだまだ差は大きい。
「緯度」と「サマータイム」がル・マン、ひいては西ヨーロッパの「日が長い」とされる二大理由だが、実はもう一つ大きな理由がある。一言で言表はし辛いので見逃され勝ちだが、とても無視できない理由である。それは、「標準時間帯の地域の中の東西のずれ」。
さつきから明石明石と言つてゐるのは、兵庫県明石市を通る東経一三五度の子午線が日本の標準時を決めてゐるからだ。要は、明石で太陽が南中した時が日本の正午といふことだ。明石から東に行くほど南中時刻は早くなり、西に行くほど遅くなる。稚内は明石から七度近く東にあるので、南中時刻は三十分近く早くなる。日没時刻もまた然りである。
もし稚内市明石市の真北の位置にあれば、日没時刻は二十時頃になる筈といふことだ。仮想の(明石市の真北にある)稚内市の日没時刻は二十時、夏時間のないル・マン市は二十一時。残る一時間の差も同じ理由で説明できる。
ル・マン市のあるフランスは中央ヨーロッパ時間帯に属してゐる。UTC+1である。ここで標準時間帯の地図を見てみよう。

画像の出典は標準時 - Wikipediaから。中央ヨーロッパ時間帯の子午線は東経十五度。ル・マン市があるのは東経零度十一分である。ル・マン市のほぼ真北にはロンドンがある。ロンドンといへば協定世界時の基準の土地であり、UTC±0である。ル・マン市はロンドンと同じタイミングで日没を迎へるにも関らず、時計はロンドンよりも一時間進んでゐることになる。これて全ての辻褄が合つた。
整理すると、ル・マン市の日没時刻が日本の感覚より三時間も遅いのは、以下の三つの理由による。

  • 緯度が高くて日が長いから(+1時間)
  • ヨーロッパは夏時間だから(+1時間)
  • ル・マン市はフランスの標準時線より一時間分西にあるから(+1時間)

「緯度が高い」といふのは、理由の三分の一を説明したにすぎず不十分である、といふことである。人は説明を一言で求めたがるが、一言で説明できない理由があるのだ。