さて、ル・マンが始まって4時間近くたった。2周目にアストンマーチンがクラッシュし、壊れたガードレールを直すのに40分もの時間がかかり、その間レースはダラダラとセイフティカーの後ろについて進んでいる。こんな手際の悪い主催者も珍しいが、ル・マンの主催者ということでACOは非難されることはないのだろう。これが王道を行く者の力といえばそれまでだが、トヨタがル・マンでそうなるには、時間とお金が必要だということ。
F1界に名前を聞くだけで嫌な気分になるジャーナリストが二人居て、その内の一人がこの赤井邦彦氏なのだが、相変らずのクオリティである。
死亡事故の起きた現場で、人が死ぬ程の衝撃で破損したガードレールを元通りに修復するのに四十分。これを手際が悪いといふのか。車から降ろされたシモンセン選手の容態を見た後であれば、現地スタッフも主催者も慎重に事を進めるに決つてゐるだらう。それで赤旗を出さずに僅か四十分で修復を終へてレースを再開してのけたのに「手際が悪い」だつてさ。モータージャーナリストつてよほど大変な商売なんだね。一番目立つトヨタとアウディのことだけ大雑把に書いてりやル・マンを語つたことになつて稿料が貰へるんだもんな。
ちよつと、素人は素人にしかできない昔話をしようか。もう随分昔、「トヨタ」といふF1チームのドライバーを勤めてゐた「アラン・マクニッシュ」選手のことだ。さう、今年のル・マンで「アウディ」チームの優勝車のドライバーを勤めた、あのアラン・マクニッシュ選手だよ。まさかレース界で知らない人は居ないよね。
そのアラン(奇しくもテルトルルージュの事故で亡くなつたシモンセン選手と同じ名前だね)は、二〇〇二年の日本グランプリの予選中に、鈴鹿サーキットの130Rといふ超高速コーナーで、危ふく命を落しかねない大クラッシュを演じたことがあるんだ。俺はそれを、少し離れたシケイン席から見てゐた。その時の様子。
各車少なくとも1回のアタックは済ませた後の開始35分,われわれのシケイン席の右手から「わああっ」とどよめきが起こり,間髪置くことなく「バスッ」と打撃音がした。慌てて右を向くと,トヨタのマシンがフェンスの向こう側にいる。決定的瞬間は見られなかったが,マクニッシュが130Rの立ち上がりでスピンを喫して,あろうことかフェンスを突き破ってしまった。折しも安全性確保のために130Rの改修が予定されている矢先の出来事。ともあれマクニッシュが無事でよかった。
2002年第17戦日本GP
このクラッシュでセッションは赤旗中断。破損したフェンスを交換・修復し,セッションが再開されるまでに実に1時間15分もの時間を要した。
世界でも屈指の優秀さを誇つてゐると、日本のレースファンなら盲信に近いレベルで信じてゐるであらう鈴鹿サーキットの「現場力」をもつてしても、七十五分もの中断を要するレべルの事故であつた。
マクニッシュは生還し、記念すべき九十年目のル・マンで優勝を果し、その勝利をシモンセンに捧げた。
赤井邦彦はシモンセンの生命を四十分のセーフィカーの対価としてしか見ることなく、記念すべき九十年目のル・マン二十四時間レースを完遂したACOを「王道にあぐらをかいた手際の悪い主催者」と賞讃した。見よ、これが日本のモータージャーナリズムである。何とも、立派な商売であることだ。
こんな仕事の酷いジャーナリストも珍しいが、重鎮のジャーナリストといふことで赤井邦彦は非難されることはないのだらう。これが王道を行く者の力といへばそれまでだが、赤井がモタスポ界でさうなるには、時間とお金が必要だつたんだらうな、知らんけど。