大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

言葉の変化

言葉の問題

ふと思つたのですが、人食ひ人種と書いて人種差別的と怒られるなら、これを人好き人種と書いたら一体どうなるのでせう。
言葉を言ひ換へようが何しようが、アフリカ系の人達に野蛮なイメージを与へるから駄目だと言ひ張るのか、人好きなら好ましいイメージなので良い言ひ換へとなるのでせうか?
日本語研究してゐる人によると、数十年ぐらゐで言葉は移り変はる物で、「正しい言葉」とされるものが、古くていびつなものになつてゐる可能性は、どこも指摘したがらないさうです。
正しい言葉といふのは時代の標準値であり、それ以外を排他するための、基準であつてはいかんと思ふのです。

言葉の問題: オタク商品研究所plus

引用元の文章を全文引用して、表記を歴史的仮名遣に改めてみた。
さて、数十年前の日本人がこの引用した文章を読んで、どこかをかしいと感じるだらうか。自分は数十年前の人ではないから断言はできないけれども、恐らく全く違和感なく読める文章なのではないだらうか。
時代によつて個々の事象に対する価値観は移り変り、時に正邪が正反対になることはあるだらう。それでも、それを伝へる言葉はさう簡単に変るものではなく、まして恣意的に変へることのできるものではない。現代仮名遣は恣意的に変へられたものであるが、それ故に今でもほぼ完全に歴史的仮名遣に変換できてしまふ。つまり本質的に何も変化してはゐない。ただ見た目を書換へてゐるだけだ。
別の言ひ方をするならば、「表現」は時代に応じて大きく変化する可能性はある。しかし、表現に用ゐる「言葉」はさう簡単には変化しない。言葉と表現は、混同しない方が良いと思ふ。「言葉は変る」と言つてゐる人は多くの場合、言葉ではなく表現のことを指してゐるやうに思はれるが如何。
もしも、ある表現が時代によつて正反対の解釈をされるやうになつたとしても、それは言葉が変つたのではなくそれを解釈する人間の方が変つたのである。人間は言葉を作らない。言葉によつて人間が作られてゐる。

  • 2008年11月07日 tinuyama ことば
  • 2008年11月06日 funaki_naoto ことば