大和但馬屋日記

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富士P3

yms-zun2007-09-29

この霧でやるのかよ‥‥と思つたらやはり開始が十五分遅れ。もつと遅れる可能性もあるな。それにしても小倉氏の解説が良すぎる。ちやんと歴史と絡めて今を語れる人つて稀有で貴重よね。
天気のせゐもあるけどグランドスタンドがガラガラすぎないか? 土曜の十一時過ぎだが‥‥バスが着いてないのではないか。
さらに十五分遅延。
今語られる'76年のラウダ棄権の真相!! 面白すぎるなあ。小倉氏は最高。曰く、'76年に富士で開催されたF1選手権イン・ジャパン*1において、大雨と濃霧のためにレースは大幅にスタートが遅れた。午後三時のスタート、チャンピオンシップをリードしてゐたフェラーリニキ・ラウダ他数名のドライバーは二周を終了した時点でレースを棄権した。結果、三位に入つたマクラーレンジェームズ・ハントがポイントでラウダを逆転、'76年のドライバーズワールドチャンピオンとなつた。これは現在に至るまで、「同年のニュルブルクリンクで頻死の重傷を負つたラウダがチャンピオンの座を捨ててまでレースの安全性を訴へた」と理解されてゐる*2
しかし、これは真実ではないのだと。実はレース開始前、FOCA会長のバーニーがミーティングで全チームに対して「二周だけ走れば興行は成立するから、皆そうすればいい」と通達したのだと。で、フェラーリは馬鹿正直にそれを守つたのに、多くのチームが最後まで走つてしまつたのだと。当時はピット無線等が無かつたから、走り始めた後の意志疎通が出来なかつた、それであの様なことになつたのだと。さういへば、一昨年のアメリカGPの一件で、アロンソが棄権する際に「皆ピットに入つて来てるよね? 誰もズルしてないよね?」と無線で確認してゐたことが符合するんだよな。
しかしまあ、バーニーの腹黒さがよく分るといふか何といふか。
なんてことを書いてる間にセッション開始、しかしまたすぐに濃霧が出てセッションは赤旗中断、その後も待機状態が続き、結局キャンセルとなつてしまつた。
あーあ。

76年富士のドライバーズミーティングでのバーニーの腹黒さの話は、おとついのF1GPニュースで、日本の興行側として動いていた森脇さんが「あの時はねぇ、バーニーとかみんな『いや、絶対走るから』と言ってくれてねぇ…」という意の「エエはなし」と合わせて知ると味わい深いな、と。(酷

ボソ - ウスイ スウプの日記

全文引用スマソ。つか、何ぢやそらー!!
嘘だと言つてよバーニィ。腹黒いつてレベルぢやねえぞ。

  • 2007年09月29日 kana-kana_ceo F1, モータースポーツ 「76年のラウダ棄権の真相」 / FISCOは濃霧なのか。 / 霧のレースと言えば、86年の富士スーパースプリント GP250 で、ワークスを退け優勝した、プライベーター(メカと2人だけ)本間利彦を思い出すなあ。
  • 2007年09月29日 nobody ラウダ棄権の眞相(と日本開催における空白期間の話)など. (あと(関係ないんだけど)日本でmotor sportsの位置付けが低いのは何故だろう).

*1:日本の国内レースが「日本グランプリ」の呼称を使つてゐたため名称を変更された

*2:このことでラウダとエンツォ・フェラーリとの関係が悪化し、翌年チャンピオン獲得後に突如チームを離脱、後任として入つた新人のジル・ヴィルヌーヴが起した富士での観客死亡事故による以後十年間の日本グランプリの中断を招いた遠因ともされるがこれは余談