大和但馬屋日記

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ゲームショウで感じた彼我の差

yms-zun2007-09-25

たまには業界語り。彼我とは、ここでは日本のクリエーターと海外のそれとの違ひを指す。
いきなり話は東京ゲームショウ(TGS)から離れるが、数ヶ月前に「テストドライブ:アンリミテッド(TDU)」に浸つてゐた頃、何人かの知人に「アイツらの考へてることは凄い。そもそも見てゐるところが違ふ」といふ話をしたことがある。要旨はだいたいこんな感じ。

  • TEST DRIVE」の名を冠したシリーズ自体は二十年前から存在してゐる。
  • 彼等はその時点から、「最終的に作りたい大きな目標」があつて、その実現のためにその時点で技術的に可能なことだけを実装してゐる様に思へる。
  • それは、例へば「Ultima」などを見ても同じ様に感じる。
  • 日本のゲームを見るとそれとは対照的で、「ドラクエ」にしても「グランツーリスモ」にしても、一作目からの積み上げといふ形でシリーズを作つてゐる様に見える。

昔の喩へでいふと、スパコン下りのモトローラMPUと電卓上りのインテルのCPU、みたいな感じかな。海外の作品にシミュレーション(タクティカル系とシミュレータ系の両方)ものが多いのも、上に挙げたことに通底してゐるのではないかと思ふ。
だから、彼等の方が優れてゐると決めつけるのは早計かもしれない。しかし、その決めつけが的外れだと断ずることは、十年前ならば躊躇つてしまつたが、今ならどうだらう。
もちろん、日本独自の路線で勝負し続けられる限りはそんなことを気にする必要はないだらう。具体的には任天堂の路線がさうだ。当面、それで生き延びる道はみつかつた。それはいい。でも、一方で彼らと同じ土俵に立たねばならない時、どこまで勝負を続けることができるだらうか。
TGS会場で「グランツーリスモ5プロローグ」をみた。報道メディア向けには「あんなことやこんなことができます」と景気の良い言葉が並べたてられてゐる。曰く、「東京モーターショーに合せて新しいGT-Rの覆面が取れるイベントがあります」だの「有料のGT.TVといふサービスで、世界中の自動車に関する映像コンテンツが視聴できます」だの。しかしそれは、プレイヤーにとつてどれほど楽しいことだらう? モーターショーの瞬間に立ち会へなかつた人には関係のないイベントが楽しいか? ビデオオンデマンドとゲーム自体の面白さに関係はあるのか? 肝心の「GT」はどう面白いの?
試遊台で遊んだ限り、それはどこまでも従来通りの「GT」だつた。初代から積み上げて、ハードウェアに合せて豪華になつただけの「GT」だつた。初代「GT」が目指した筈の目標は悉く他のタイトルによつて高いレベルで実現され、今や後追ひタイトルの一つでしかないそれだつた。一作目から積み上げてきた結果、今までで一番凄い「GT」には当然なつてゐる。しかし、それだけでしかない様にしか見えなかつた。しかも、その積み上げ作業はいつになつたら終るのかも分らない。「プロローグ」はいつになつたら発売されるのか。本編は? もはや誰も発表された期日など信用してゐないだらう?
マイクロソフトのコミュニティパーティで、Cheは「既にスタッフの半分は『Forza3』の制作にかかつてゐる」と発言した。そして我々に「車内視点は欲しいか?」と訊き、誰かが欲しいと答へれば「その場合車種を大幅に減らさなければならないが、それでもいいのか?」と訊いてきた。ああ、これが彼我の差かと、ここでも感じた。彼等は出来もしないことをやると言はない。「GT4」の車種に新車を加へ、すべてに車内視点をつけますなどといふ様な風呂敷を広げない。コスト的に不可能だからだ。彼等はまづ、「可能な限り完全なシミュレータ」を作らうとしてゐる。そして、それを土台にしたフィールドでユーザーコミュニティが育つことを目標にしてゐる。その目標にブレがない。だから、グラフィックの美麗さなどは二の次だと公言してもゐる。それらがあまりに愚直すぎてメディア受けしないから、将来「Forza3」と「GT5」が仮に出揃つたとしてもやはり「GT」の方が売れるだらう。まあ、出るかどうかも分らないそれらのことはさておいて、では今あるゲームの楽しさとしてはどうか。着実に「楽しさ」をユーザーに提供する手腕を比べた場合、もはや勝負にもならなくなつてはゐまいか。
一ゲーマーとしては別にそんなことを気にしなくても、奴等の作つた凄いもので遊んで幸せならそれで良いのだけれど、一方で報道メディアが吹いた笛にどれだけの人が踊るのかに、歪んだ興味がないと言つたら嘘になる。
もちろん、ワシが期待する「ゲームに求める幸せ」が世界中の誰もに共通の正解であるとは思つてゐない。でも、ワシが彼我のどちらに希望を感じるかといへば、やはり「あちら側」であることは否めない。日本ではそれが最後まで主流にはなり得ないかもしれないが、そんなことは知つたことではない。
TGS会場で偶々出遭つた旧友と長時間立ち話をした。その時、某有名タイトルのビジュアルイメージを一身に担ふ彼が、先に挙げたのと同じことを口にした。「俺達が何年もかけてやつとここまでの画面を出してるのに、奴等はああいふのを毎年の様に出してくる。そのパワーが凄い。あと、作る時に見てるところが全然違ふ」。いや全く。がんばれ。

  • 2007年09月25日 funaki_naoto game, culture