大和但馬屋日記

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あそびつくちて

「今日のゲーム」の方に「今更最後まで遊び尽す気力もないけれど」なんて書いたけど、んーなんか違ふな。こないだ今村さんにも「世界樹」最後までやらないんですか? と訊かれた時には「まあ、××階をクリアした時点で一往終りなんで、残りはボーナスゲームといふか、他に遊ぶゲームがない時の楽しみに取つとくといふか」みたいな返事をした。けどどうなんだろ。
もともと、「ゲームをクリアするまで遊ぶ」とか「このゲームのROMに収納されたデータはすべて開陳してやる」といふ意識は薄い、といふか全く無いんぢやないか。
ゲームに対しての欲求を改めて言葉にすると、「満足するまでやる」「飽きるまでは頑張る」くらゐか。いつまでも飽きない場合は全要素を開陳することもあるかもしれない。けど、さういふレベルまで遊んだゲームはたぶん無い。「おいでよどうぶつの森」は秋に買つて一冬過ごして、春を迎へたあたりで遊ばなくなつたからワシは夏のまとたぢ村の様子を全く知らない始末だ。
なんでこんなことを思つたかといふと、またRPGの話だけど、今日の検索さんにリザード 6601 - Google 検索なんてのがあつて(いらつしやい)、「ああ『リザード』ね、ワシの3DダンジョンRPGの初体験ですわ。もしかしたらあれより面白い戦闘モードを持つRPGは無かつたかもね。最後の階あたりまで進んだ気はするけど結局クリアはしなかつたなあ」なんてことをつらつら思ひ出したわけだ。
要するにワシは「リザード」をクリアしてゐない。でもあれは面白いゲームだつたと思ふ。クリアするまで遊んでゐないのならお前はそこまで「リザード」のことが好きではないのだらうと誰かに指差して言はれたら「ハァさうですねェ」としか答へやうがないけれど、そんな優越感ゲームはよそで勝手にやつてほしい。ワシは「リザード」で3DダンジョンRPGの面白さを知り、あの間抜けな戦闘シーンでゲラゲラ笑ひながら「キシャーッ」「ボヨーン」とどつきあつてゐた。いや本当にあの戦闘は最高だ。「どうぶつの森」も楽しかつたよ。
人によつては「最後の階まで行つたのにクリアしてゐない」といふのが理解できないのかもしれない。別に難しくて投げ出した訣ではなかつたと思ふ。単に、他に遊びたいゲームができたんだよ。
ゲームつて、楽しい時間を過ごすためのものだよね。「遊び尽す」つてのはそれとは関係ないし、別に年喰つたからではなく昔からワシには関係なかつたんだよな。

あー

だから、「エンディングを見ないとゲームを遊んだことにならないゲーム類(ほとんど全ての和製RPGアドベンチャーゲーム)」に興味が湧かない訣だ。なるほど。