大和但馬屋日記

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疑問

yms-zun2006-12-09

政治談義にはあまり首は突込みたくないけど、疑問に思ふ点があつたのでDocSeriさんに質問します。

その意味で、憲法9条の束縛は非常に重要である。これがある限りは自衛目的以外の戦力保持はならず、他国への侵攻は不可能である。9条の非改訂こそは最後の砦と心得られたい。

この点について、日本国憲法第九条の日本語文にはかうあります。

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

私はこれを字義通りに読み、自衛目的以外のといふ留保の入り込む余地はどこにも存在し得ないと考へますがDocSeriさんはさうではないとお考へなのでせうか。
一往私の立場を表明しておきますと、

  • 現在の自衛隊に相当する戦力は現実問題として必要と考へる
  • 日本国憲法に従ふ限り自衛隊の存在は違憲である
  • 自衛隊違憲でないとする解釈は条文に正しく従ふ限り成立し得ない
  • 法と現実の間に著しい齟齬が生じた場合、法を定められた手順で改訂すべきである

となります。
明らかな違法状態を為政者が自ら看過し続けるならばその国は法治国家と呼べません。法治国家でない国が載く憲法なぞ、それこそ犬の餌にもならないでせう。施行者にすら守られない法を有難がる道理がどこにありませうか。
といふか、九条を改訂することが何故直截的に他国への侵攻を許すことに繋がるのでせう。そこに論理性は存在しますか。冷静に、論理的に、そして明快に自衛を認め侵略を行はないことを記述すれば良いのではないのですか。
9条の非改訂こそは最後の砦といふ発想は、私には思想的右翼の思考パターンに通ずるものの様に感じられます。憲法は神聖ニシテ侵スへカラサル金科玉条などでは断じてなく、より良く暮すために民主的に改変されるべき法の一つにすぎないと私は考へます。
以上、イデオロギー的な対立ではなくあくまで論理的な観点から疑問を呈させて頂きました。

  • 2006年12月11日 funaki_naoto 政治, 社会