大和但馬屋日記

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お前ら「青春18きっぷ」を使へよと思つたが当時は存在しなかつたらしい

yms-zun2006-11-29

クレイジーカンガルーの夏(誼阿古,GA文庫) - 大和但馬屋読書日記 - bookグループ

クレイジーカンガルーの夏 (GA文庫)

クレイジーカンガルーの夏 (GA文庫)

読み始めてからの百ページほどは、読むのがしんどくてしんどくて仕方がなかつた。少年達が「ガンダム」の感想戦を始めたときは読むのをやめようかと思つた。もにょるのを通り越して、全身がむず痒くて仕方がなくて本を風呂桶に沈めてしまはうとしたことも一度や二度ではない。
現実にある事物の固有名詞を執拗に並べてリアリティを積上げるタイプの小説はもともと苦手で、だから村上春樹とかよう読まんといふか、一篇読んであとは読まず嫌ひなのだけれど、本作品もそんな感じだ。昭和五十四年当時の宝塚近辺に住んでゐる中学生といふ状況が自分と近すぎて、それ故に書かれてゐることと現実の自分と間にある差異の擦り合せがしたくもないのに起きてしまひ、物語に引き込まれるには随分と邪魔になつた。
物語が大きく動いてからは相対的に固有名詞の登場する頻度が減り、面白く読めた。起きてゐることのひとつひとつに派手さはないけれど、ズシンとくるものがある。作中人物といくつも違はない世代の自分が読めば「うんうん、分る分る」と納得のいく話だから余計に執拗なディテールが不要に感じたが、同じ空気を今のラノベ世代が感じる為にはあれくらゐの描写が必要だつたといふことだらうか。
その辺りどうなんだらうと考へて、子供の頃に読んだこの本のことを思ひ出した。
山のむこうは青い海だった

山のむこうは青い海だった

物語の構造や筆致、関西弁の会話文など「クレイジーカンガルーの夏」と非常に近いものがある。これは昭和三十年代の少年がやはり夏休みに電車に乗つてちよつとした体験をする話で、「クレイジ〜」同様に時代の空気を感じさせる描写が丹念に為されてゐる。とはいへ、それほど具体的な固有名詞に頼つてはゐない。故に、丁度「クレイジ〜」で描かれてゐる時代に小学生だつたワシでもあまり抵抗を感じることなく物語に入ることができた様に思ふ(‥‥と思つてゐるが今読み返したらどうかは分らない)。
なんといふか、「ガンダム」ベースに書かれてゐるからライトノベルレーベルから出版されてゐるけれども、本当ならフォア文庫あたりから児童書として出版されるべき物語なのではないかと感じた。
しかしさう思つてフォア文庫のことを調べてみたら、かつて良質な児童書を数多く紹介した*1レーベルが、今ではえらいことになつてゐて愕然とした。

寒い時代とは思はんか。
てか、こんなところに藤咲あゆながゐるよ。

*1:前掲の書もさうだし、初めて「坊ちゃん」や「戦艦武蔵のさいご」を読んだのもこの文庫の版だつた