大和但馬屋日記

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最近のゲーム(六月二十四日)

怪盗ルソー(NDS,namco,ASIN:B000FB6FZS)怪盗ルソー(購入者特典オリジナルポーチ&シール付き)

先週のうちにクリアしてしまつてたんだけど書く機を逸してた。
ゲームとしてはぬるめのアドベンチャーゲームに手描きによる「変装」といふ要素を加へたもの。この「変装」がゲームを解く鍵になる訣で、もちろん当ゲームの最大の特徴ともいへる。んでもつて、これが困つたものなのだつた。
「変装」の意味付けは主人公ルソーが他の人や物になりすますことにあるから、必然的に何かの「お手本」が示され、それを如何に上手く真似るかだけが評価の対象となる。手本の絵と描いた絵が似てゐるかどうかの判定は大した処理をしてゐる訣ではなささうで、恐らく元絵と重ねて一致するピクセル数の割合を見てゐるだけだと思はれる。まあゲームだからそんな物で構はないと判断されたのだらうが、結果として「変装」がひどく面倒な作業以上のものになり得てゐない。「描く」ことがゲームに結びついてゐないといふ印象しか残らなかつた。

一往、自由変装モードといふものも用意されてゐて、それが活かされる場面が無いこともないけれども、大して重要ではないし描いた顔が保存できる訣でもないから気合を入れるだけ損である。どうも、描く楽しさからは程遠い。シナリオの展開上、描く時間に制限がある場面が用意されたり、手本の入手方法が一筋縄でいかなかつたりするところがあつて何とかゲームの面白さは保ててゐると思ふけれども、根幹が変らないので困つたなあ、と。

もう少し絵の判定方法がインテリジェントになつてゐると楽しかつたのかもしれない。「もつと目を大きく」とか「そんなに寄り目ぢやない」とか言はれたり、あるいはキキコミに基く人相書きの様に特徴を言葉だけで示されて、そこから顔を作るとか。もちろんプログラム的には大変だらうけれども、しかし今の判定方法だと手を抜きすぎではないか。否、手抜きかどうかはともかく、プレイヤーに強いる作業が面白くなつてゐないではないか。
例へば同社の「パックピクス」ではもつとインテリジェントなプログラムで「描く楽しさ」をゲームに組込んでゐた。「どこまでをパックマンと見倣してくれるか」とか、描いた形の大きさや向きなどの「手描きならではのぶれ」が意味を持つたものとしてゲーム側に認識されてゐた。それの発展形を勝手に期待してゐた為に、ただ元絵に一致してゐるかどうかだけしか見てくれない、どころか究極的には「ぶれ」を否定されるこのゲームには肩すかしを喰つた感が強い。
「描く」面倒さ故にあまり長時間続けて遊ぶ気にはなれなくて休みを入れながら進めて、それでも三日ほどでクリアしてしまつたのだから、ゲームとしては相当ぬるい。クリアに手こずるとしたら最後の辺りで時間内に絵を上手く何枚も描けないといふ理由によるものだらう。
ゲームのボリュームは少ない。せめてもう一話、贅沢をいふなら二話は欲しい。デジタルコミックとしてみた場合、「逆転裁判=マガジンorチャンピオン」「押忍! 闘え! 応援団=ジャンプ」と対応させた時の「怪盗ルソー=サンデー」といふことになるだらう。ゲームの発売週だつたかその前週だつたかにサンデーの裏表紙に全面広告を載せてゐたのは、おそらくその自覚あつてのことだらうと思つた。他誌に載つてたかどうかは知らんのであくまで印象。で、悪い意味でのサンデーらしく、ひたすら軽くて薄い。故に例に挙げた他のゲームの様な「アクの強さ」による話題性もない。「永遠に続く四コママンガ」を読み進める様な画面遷移のしかたはDSの持味を活かしてゐて仲々面白かつた。
色々書いたけど、サンデー的に見てセーヌちやん可愛いなあといふのが、後々このゲームに残る唯一の感想ではないかと思つた。そんな作品。