大和但馬屋日記

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やはり「語に随ふ」べしなのでは

しかし歴史的假名遣ひでは「い・ひ・ゐ」と云ふ表記が用ゐられてゐます。あくまで、位は「くらゐ」、基は「もとゐ」と書かれなくてはいけません。つまりそこには、「ゐ」と云ふのは「い」や「ひ」では置き換へられない、語としての意味合ひが含まれてゐることに他ならないのではないでせうか。

2005-06-07

引用部の後段でご紹介いただいた松岡正剛氏のhttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0514.htmlも拝読しましたが、「ゐ」の世界といふのは多分に情緒的な表現だといふのが感想です。「しばゐ(芝居)」「まどゐ(円居/団居)」「もとゐ(本居→基)」「くらゐ(座居→位)」、それらはいづれも「居(ゐ)」といふ語に随つてゐるから「ゐ」なのであつて、「ゐ」といふ文字に意味があるのとは少し異るのではないでせうか。舩木さんの仰る語としての意味合ひとはさういふことだと思ひます。例へば「い」一文字で「胃」や「意」といふ語があるからといつて「い」といふ仮名文字に特別な意味があるといへないのではないかな、と。
ヤ行の「い」「え」やワ行の「う」がいつ消滅したのか(日本語を文字表記するやうになるより前に消えてゐたのか)、そもそも存在したのかどうかなどは不勉強故に私は知りませんが、「ゐ」「ゑ」はつい最近までそれを必要とする語の中に残つてゐた(そして自然にではなく恣意的に消滅させられた)といふ事実こそが大切なのだと思ひます。
あと、これは余談かつ不遜な物言ひですが、松岡氏の件の文章は全部添削してあげたいですね。普段使はない仮名遣ひだから間違ひが多いのは仕方がないこととしても、それを上梓する前にきちんと正してあげられる人が松岡氏の周囲にもゐないといふことが、なんといふか物悲しい気がします。