大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

ネタバレ回避策

はてなRSSなんてものも始まつて、さうでなくてもアンテナが本文の記述を拾ふのが当然のことと認知されつつあつて、携帯でも閲覧できるサイトが数多くあつて、といふか検索エンジンを利用したことがない人などまづゐないだらうに、といつた昨今の状況下で、未だに何かのネタバレ回避策として「文字色と背景色を同じにして見えなくする」といふ手法が用ゐられることについて、どうにかならないものかと常々思ふ。随分前にもこのことについて書いたけど何度でも書く。
「バレては困るネタを知つてしまつたから腹立たしい」といふ理由でこんなことを言ふわけではない。問題にしたいのは、「かういふ風にしておいたからネタバレしても可だよね」と書き手が安易に思つてしまふところだ。ネタバレ程度で価値を失ふやうな作品にそもそも価値はないとまで言ふ人もゐるしそれはそれで一理あるけれども、今はひとまづそれは措かう。ただ、少なくとも、ある作品に言及する上で「ここをバラしてはこの作品の価値が落ちるよな」と書き手が思つてゐるならば、なぜ落としてはならない価値を自らの手で落とすやうな行為をするのだらうか。それは矛盾ではないか。「だつて他に書き様がないんだもの」と仰る人も居るかもしれないが、それをいふなら「ネタバレしないと書けない感想や批評に価値などない」といふことも可能だ。つまり、書かない方がマシといふことだ。少なくとも、さうしないと書けない文章が元の作品より価値があるとは普通言へないのではないのか。
ある作品の中で「○○が××するところ」といふのを示すために取り得る表現は一つだけではあるまい。敢てそこに言及するといふことは、言はば作品に対する挑戦である。どうしても挑戦したいならば、最も安易な色隠しなどといふ方法に頼らず、こちらも持てる表現を尽すべきではないのか。そこまでマッチョぶらずとも、例へば本ならページ数とか映画なら大体の時間とかでポインタを示すなど、工夫すればやり方はいくらでもあるだらう。
何よりも、HTMLの見映えを利用するといふ仕掛けは何とも脆弱で心許ないものだ。そんなことをしても「ネタバレに配慮した気になつてゐる」以上の意味はない。それは配慮といふ名の責任逃れにすぎず、むしろ傲慢な態度であると言つてよい。
人目に触れさせたくない文章を書く最も良い方法は、それを書かないことだ。